


デジタル一眼カメラ > CANON > EOS 5D Mark II ボディ
今回5D2購入でニコンからキヤノンへ転向してふと疑問に思った事があります。
合成写真の定義について、先輩諸氏はどのようにお考えになって居られるでしょうか?
ニコンD200を使っていた時は多重露光が可能で、2〜10枚の写真を自動的にゲイン調整して一枚のRAWファイルに生成してくれましたが、今度購入したキヤノン5D2には多重露光機能が無いのでパソコンで合成するしか方法はないようです。
花火や星の撮影だけでなく写真誌などでも多重露光したプロの風景写真を見る事があります。
この場合、多重露光した写真をカメラ内で一枚のフィルムまたはRAWファイルに集約する多重露光は合成写真の範疇から除外されると思っています。
デジタルになってからパソコン内で複数のJPEGファイルを一枚に合成する事が容易になりましたが、この方法ではオリジナルファイルが複数存在することになりEXIFデータもどれを指すのか曖昧になります。
5D2で多重露光を必要とする場合は、この方法による写真の合成になるものと思われます。
一方、フォトコンなどでは合成写真は不可とされています。
一般に合成写真とは画面の一部を切り取って他の写真に重ね合わせた写真を指していると思っていますが、切り貼りしない画像をパソコンで合成した場合はフォトコンなどで言うところの合成写真には該当しないと解釈しても良いものなのでしょうか?
何か定義が曖昧のような気もします。
花火撮影のように露光時間が長い場合はバルブにしてレンズ前を塞いだり開けたりすることで対処できますが、露光時間が短い場合はその方法は使えません。
皆さんは多重露光が必要な場面ではどのように対処しておられますか。
取り留めのない文章で分かりにくくて申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
書込番号:8814458
2点

>何か定義が曖昧のような気もします。
コンテスト等の規定を見ていると、
確かに定義が曖昧な印象も受けますが、
デジカメやデジタル処理というものに
規則が追いついていないのだと思います。
コンテストの趣旨にもよると思いますが、
主催者側も色々な迷いがあることと思います。
統一基準がなければ、個別に問い合わせてみてはいかがでしょうか?
また、返答を掲載して頂けたら多くの方々の参考にもなると思います。
書込番号:8814583
0点

miyajinさん >
どこかのフォトコンに応募する場合は主催者に問い合わせることになると思いますが、過去にも応募したことはなく、今後も現時点では具体的な応募予定は有りません。
しかし、今まで使っていたカメラで時々使用していた多重露光の機能が、5D2には無かったので、そのことについてキヤノンユーザーとしての先輩諸氏はどうお考えなのか意見をお聞きしたかったのです。
書込番号:8814899
0点

結論から言うと、正直どうでもいいような気がします。
今から書くことは、あくまでも主観であって、WOODS2003さんの意見を否定する物でも中傷する物でもありませんので、最初にお断りしておきます。
よく昔の人は、フィルムの多重露光はよくて、デジタルの多重露光はダメ、みたいなことを言ってたりしますが、その違いは一体何なんでしょう?
デジタルの多重露光(?)をカメラでするのか、パソコンでするのかも、
後か先かの違いだけであって、正直どっちも同じだと思うのですが・・・。
写真をひとつの芸術と位置づけて良いのであれば、
ひとつの作品を造り上げるのに合成も着色も好きにやって、
素晴らしいと言われる作品を世に送り出すべきだと思います。
絵画の世界に置いて、この技法はダメだとか、この絵の具は使ってはいけない、この素材には描くななどとは、あまり言われていないことだと思います。
音楽も電力を使う楽器がダメだとなのでしょうか。
映画もデジタルで撮って、CGで背景を変えたり消したりしたら、いけないのでしょうか?(映画が娯楽だと言われれば尚のこと何してもいいと思いますけど・・・)
要は音楽であれ、絵画であれ、写真であれ、合成写真であれ、
CGを駆使した映画であれ、人々がその作品で感動すればいいのではないでしょうか?
アンセル・アダムズが今のこの時代に生きていたとしたら、
おそらくデジタルで撮影し、PCで現像をして、新しい概念の「ゾーンシステム」を構築してのでないかと強く思います。
長くなりましたが、
銀塩だろうがデジタルだろうが、暗室だろうがパソコンだろうが、
使う道具が違うだけでやっていることや、目指すところは同じじゃないの!?
その過程にこだわっていては、写真というひとつの芸術が、
いつまでたっても芸術とは認めてもらえないのではないでしょうか。
好きな道具を使い、好きな被写体を撮り、好きな作品を造り上げる。
その方法に、他人からとやかく言われる筋合いはないと思うので、
好きにやった方が良いと思います。
書込番号:8815492
3点

woods2003さん こんばんは。
ニコンの多重露光機能は欲しい機能ですね。
合成写真の定義は難しいと思います。レイヤーを重ねても合成と言われてしまうかもしれませんし(だったらレタッチはNG?)、星の軌跡を分割露光して合成するのもNGになってしまいます。厳密に言えばコピースタンプもNGかもしれません。
しかし実態としてはフォトコン自体もこのあたりのとらえ方がはっきりしていないのではないかと思います。お応募者自体が銀塩の知識しかなくデジタル写真の特性を理解していないケースもあると思います。
まずは応募時に「合成」の定義を確認することも必要でしょうけど、デジタル写真が一般化するに従って、「合成」の定義が出来上がってくるのではないかと思います。
個人的には多重露光をパソコンで合成するのはOKだと思いますが、とりあえずは応募してから反応を見るのも一つかもしれませんね。
書込番号:8815513
1点

>合成写真
アナログ時代の限られた手法でしか写真作りができなかった頃の言葉でしょ。
まさか、いまだに言われてるのですか!?
そんな、トンチンカンなコンテストに応募するのは止めましょう!
書込番号:8815539
0点

> chrysocollaさん
銀塩時代の名残のような考え方の方が今でも沢山居られるような気がします。
『写真は写ったものが全てで一切の手を加えてはいけない』と極端な意見の方もおられます。
勿論、撮る時に熟慮を重ねて一枚の作品を作り上げるのが基本で、後でレタッチすれば良いとの安易に考え方に賛成している訳ではありません。
レタッチにしても、ゴミを消すのはOKだが電線を消すのはNGというプロもいれば、その電線が画面のイメージを損なっているのなら削除もOKではないかと仰るプロもいます。
しかし、パソコンでの合成に反対する考え方の底辺にあるのは『銀塩で出来ないのにデジタルでするのは不公平だ』と言うことでしょうか。
芸術の一つの表現方法と考えれば、写真の上から絵具で絵を描くことも許容され、現にそのような作品を発表されている大家もおられますが、フォトコンでは拒絶されるでしょうね。
まだまだ加工の許容範囲の考え方についての混乱は続きそうです。
> BIG_Oさん
カメラ内で合成する多重露光ならオリジナルも一枚だし作者が部分的に手を入れる余地がないので、表現方法としてすんなりと受け入れられるのだと思います。
パソコンを使わなくてもカメラ内で合成してくれるならレイヤー合成の手間がかかりませんし、オリジナルも一枚ですから、提出を要求されても直ぐに応じる事が出来ます。
そのような意味で、現時点ではカメラでの多重露光は欲しい機能の一つです。
ソフトで簡単に実現できそうなのでファームアップで対応してくれたら嬉しいのですが。
> Otocinclusさん
コンテストに応募するか否かではなく、画像合成やレタッチの許容範囲が曖昧なのは作品を作る時の気持ちに関係します。
デジカメが普及したと言っても、まだ銀塩でしか撮っていない方も沢山居られるので、合成写真に対して共通のコンセンサスが得られるまでには暫くかかりそうですね。
書込番号:8816154
0点

>『写真は写ったものが全てで一切の手を加えてはいけない』と極端な意見の方もおられます。
「憲法は一切手を加えてはいけない」みたいな考えですね。写真は良い想い出を作る手段なんだから柔軟にいきましょうよ。
書込番号:8816316
0点

>パソコンでの合成に反対する考え方の底辺にあるのは『銀塩で出来ないのにデジタルでするのは不公平だ』と言うことでしょう
そうなんでしょうね。だから、カメラでできることはOKで後での処理はダメだとか・・・
焼き込みや覆い焼きはOKだけど、ホワイトバランスは・・・?
書込番号:8816377
0点

まあなんといいますか。。
フォトコンの場合、主催者が応募者してくるひとの技術を考慮している場合だとか、現場の撮影技術に重点を置く場合だとか、、いろいろありますから。主催者の価値観が自分と異なるなら、応募しなければいいです。あまり複雑に考える必要はないでしょう。
どんな写真が‘正解’かは、約200年続く写真の歴史をたどってみるとよいかもしれないですね。
(その探究、の歴史であるとアタシは思います。。)
書込番号:8816478
0点

> ドライビングボディさん
写真のレタッチだけを取ってもその許容範囲は人によって随分と違います。
デジタルになって急速にソフトが進化し従来考えられなかったような手法も可能になってきました。
その事を考え合わせると、いつになっても明確な定義を確立するのは難しいのかなという気もします。
アンディ・ウォーホルのマリリン・モンローの版画に代表されるように、絵画と写真との境界も曖昧になってきました。
先日、千葉市美術館で開催された「写真100年史(だったようなタイトル)」を観てきましたが、記録を目的として始まった写真が芸術としての作品となり、最近では絵画との融合の傾向がますます強まったとの印象を受けました。
芸術分野とするなら次々と新し試みの作品が生み出され、その内に『合成写真て何?』って言われる時代が来るかも知れませんね。
> DDT_F9さん
銀塩の場合は表現したいことにマッチしたフィルムを選択し、デーライト下でタングステンフィルムを使ったりすることもあるようですが、デジタルならそれに相当することを簡単に実現できてしまいます。
後からホワイトバランスを変更することが容易に出来るのもデジタルの利点だと思います。
デジタルに精通したカメラマンはレタッチに対して許容範囲が広く、デジタルを扱ったことのない(或いは扱えない)カメラマンはレタッチに対しての抵抗が強いようにも思います。
デジタルは何でもできる ⇒ 何をするか分からない ⇒ 作品として信用ならない
写真を芸術作品としてより記録手段の延長線上で捉えての危惧感からでしょうか。
これも優れた作品が沢山発表されるようになれば解決するとは思います。
書込番号:8816560
0点

> ひさちん。さん
コメントを有難うございます。
↑でドライビングボディさんへのレスにも書きましたが、機材の進歩や技術の進歩で表現方法は劇的に変わってきます。
現代はその過渡期にあるんでしょうか。
フォトコン一つとっても審査員によって入選作品が変わります。
『入選したければ審査員の好みを知れ』ともいわれている位ですから。
芸術作品なら尚更のこと主観が支配する世界ですから絶対的な基準が有ろう筈もなく、万人が好む作品はそれだけ個性がないと言えなくもないかも知れません。
ま、私の写真はそんな世界から遠く離れていますから無関係と言えばその通りではありますが。
ですが、そうは言っても無制限な野放し状態と言うのもどうかな?と言う気持もあります。
この辺は私自身もはっきりとした考えに纏まっているわけではありませんでしたが、皆さんのご意見を伺っていて、あまり気にする必要もないかなと思えてきました。
書込番号:8816631
0点

合成写真というのは、写真が発祥したころからあって、特に新しいことではありません。それらの昔の写真を見ると、現代の合成写真の方が、写真表現としては退化してしまったように感じられます。
おお昔では、何十分も露光して、しかもすぐに現像する必要があり、、大変不便なシステムなわけです。一連の動作がすべて‘写真’であったため、逆に自由な発想ができたのでは?と思います。システムの不都合を人がカバーした時代ね。
細かくは飛ばしますが、
ライカ判などの普及を経てやがてカラーになり、、もちろん機材の進化もありました。撮影する人と現像・プリントする人が分業みたいにやってきました。
デジタル機材になり、撮影後もユーザーが関われるようになったのが現在の状況だと思います。
まだそのことに慣れていないです。機材が高性能化し過ぎて、カメラマンの技術や発想が追いつかない時代でしょうか。。
アタシの独断・偏見ですが、カメラ・写真史という長い歴史の観点からみた場合、それらを用いて後世に残るような作品を作るのは、もう何十年か後のカメラマン達じゃないかと思っています。
書込番号:8816817
0点

ひさちん。さん
合成写真と言うとすぐに脳裡をかすめるのは「UFO写真」や「心霊写真」です。
それが嘘か本当かを議論するつもりはありませんが、それらが「合成写真」と言う言葉のイメージを損なって、偽物とか紛いものと言う印象を与えてしまっている部分もあると思います。
いずれにしても、皆さんのご意見をお聞きする限りレイヤー合成について反対される方は居られないようなので、必要に応じて多重露光の代替手段として活用してゆきたいと思います。
> それらを用いて後世に残るような作品を作るのは、もう何十年か後のカメラマン達じゃないかと思っています。
絵画や音楽の世界と同様に、世界のどこかには現にすぐれた作品を生み出しているのに埋もれたままで、それが評価されるのは数十年後と言う作者が居るかもしれません。
それが正当に評価されるには、写真に対する考え方の変化を待つしかないんでしょうね。
その点、アマチュアは作品の評価が収入につながる訳ではないから気楽にチャレンジできますし挑戦したいものです。
書込番号:8816952
0点

>レイヤー合成について反対される方は居られないようなので、必要に応じて多重露光の代替手段として活用してゆきたいと思います。
作家達(我々)は特に否定しないでしょうね。
しかし、見る側(一般人)がレイヤー合成してる現場を見てしまうとガッカリするでしょうね。
このあたりが難しい。
書込番号:8817262
0点

レタッチも多重露光もパノラマ合成も、そんな単純なものは私の考えでは合成写真には入りません。私自身の合成写真の定義は、現実にありもしないものを作り出すことです。
たとえば写真Aにある目障りな電線を消し去った写真Bは、私にすれば合成写真と言えるかどうか微妙です。
写真Cのような風景を写真Dのように変えたものが、私にとっては合成写真です。
書込番号:8817490
1点

> Otocinclusさん
矛盾する言い方かもしれませんが、他人がどう思うかなんて考えずに新しい事に挑戦しようと言いながら、一方ではその作品を見る皆さんの評価を気にしている自分もいます。
だから、その手法が一般化して誰にでも受け入れられる世界に安心感を求めたりします。
そんな事では新しい作品は生まれないと分かっていても・・・
仰るように作る側と見る側でも考え方は異なるでしょう。
素晴らしい絵画を見てからその制作現場を見たら、実はサルに絵筆を持たせていたなんてね。
本来、制作に至るまでの過程はどうあれ作品としての絶対的な価値は不動だと思うんですが、期待していたのと異なる制作現場を見せられると人は騙されたと思いガッカリするでしょう。
評価するのは人間ですから、芸術作品のような数値で表せない作品を評価する絶対的な基準は存在しません。
だから面白くもあると言いながら・・・・
でも・・・・・
書込番号:8817540
0点

> isoworldさん
そこに有るものを消すのはOKと言っても、消した跡を他の画像で埋める訳ですからそこに見えなかったものを付け加えることになり、程度問題でしょうね。
一方無かった物を付け加えるのがNGと言うのは良く分かります。
付加することによって画面の印象が変わらないのなら付け加える必要が無かった筈だから。
でも、その定義も時代とともに変わって来るでしょうね。
『電線に止まっている小鳥が3羽では寂しいので2羽追加した』とか、『5羽では煩しいので2羽消した』
また写真誌に載っていたプロの写真でこんな解説を見た事があります。
『花数が少なかったので多重露光で増やした』と。
最初のはレタッチで部分的な追加・削除、後のは多重露光で全面的追加?
どちらかと言えば後者の方が罪が重いように思いますが、多重露光は許容されます。
その辺、割りきれない点もあります。
それにしてもisoworldさんが添付した4枚目の写真、必死で見てもレタッチで追加したとは思えない出来で驚嘆しています。
書込番号:8817724
1点

フィルムの頃はKissでも多重露光あったんですけどね。デジタルはもうないですね。Exifとの兼ね合いなのかは分かりませんが。10年前親父がフィルムKissを買ってそれでうちのワンコを多重露光やってみましたが透けてしまって怖かったです(笑)
先日物置からカビだらけになったこのカメラを10年ぶりに掘り起こしましたが、多重露光の使い方を忘れてしまいました。
Canonにした以上はPCでの処理になってしまいますね。またカメラにつけてほしいものです。
書込番号:8817755
0点

> よっち〜♪さん
ニコンD200の時には多重露光機能があったので、例えば桜の花を撮るときに多重露光で一枚目は普通に撮って二枚目はピントをずらして撮り、あたかもソフトレンズを使ったような効果を表現したことがあります。
でも無い物ねだりをしても詮無いこと、皆さんのご意見はレイヤー合成OKとのことですので私もその方向で行きたいと思います。
まだやったことはありませんが、EXIF情報は当てにならなくなりますね。
尤も、露出補正だってRAW現像時に補正した分はEXIFに反映されないのでそれと同じことではありますが。
書込番号:8817839
0点

写真に報道という要素が加わってから、修正はいけないことであるという概念が生まれたようです。
前の戦争では、写ってはいけない人物が消されたりなどの情報操作が行われたりして、、写真は様々な‘嘘’がつけることを人類が経験したわけですね。
さて現代。ニュースとして見る場合の写真は、手が加えられるとやはり問題になります。見せられるひとたちが、それが事実だと信じて見る場合。
もっとも、カメラマンがカメラを向けた時点で主観が入りますから、、なかなか難しい問題です。本が何冊も書けるくらいの議論になってしまいます。
写真作家の方だと、例えば篠山紀信さんや荒木センセーなど、‘嘘を加えるとでより本当になる’なんて感じで、、つまり小説の世界なんです。まあ、きりがないのでやめますが、、演出・修正などの手を加えることも、真実に迫れる方法のひとつなんだということですね。
あと、心霊写真で思いだしましたが、川口隊長など、娯楽で盛んにヤラセがあった時代もあり、よいイメージで捉えることが難しい世代もあるかもしれません。
いずれにせよ、特にアマチュアなら、個人の価値観に全面的に委ねられる話です。
書込番号:8817896
1点

isoworldさん の屋形船を入れ込んだ写真は、凄くてビックリですね。
これは、素晴らしいレタッチ技術ですね。
しかし、これを合成と知り、「素晴らしい」と思うのは同業者でしょうね。
一般的には「騙された」と思うでしょう。
それは、天と地の差です。
芸術作品や美術作品は、作法、完成するまでのプロセスも重要視されるが、
デジタル技術のように、あまりにも色んな事ができ、色んな可能性を秘めいてる物には価値がつきませんね。
「希少価値」を重要視しますからね。
写真が出来るまでの作法など、どうでもいいと思ってるのも作家だけで、
このあたりが鑑賞する側との相違点でしょうね。
書込番号:8818075
1点

合成写真といって真っ先に思い出すのは、マッド・アマノさんと白川義員さんがもめた例のアレなんですが、まあ、白川さんにはお気の毒ですがマッドさんが手を加えちゃったほうが100倍面白くて大爆笑ものでした(^^;
だからそれでいいという話ではありませんし、マッドさんのは写真というよりはイラストの範疇に入るものなのかもしれませんが、とにかくジャンルにとらわれなければ何でもありありで、カメラを使ったからといって最終的な作品が写真である必要もなく、それどころか自分だけの新しいジャンル作っちゃう強者が現れてもいいくらいじゃないでしょうかね。
書込番号:8818077
0点

> ひさちん。さん
記録媒体としての写真が芸術表現手段として使われだしたことが事を複雑にしているように思います。
作る側は表現手段と思っても見る側は記録として見ているかも知れません。
そこで誤解が生じるから追加・削除などの修正はNGと言う議論が起こるのだと思います。
ある観光ポスターで滝にかかる見事な紅葉の写真が使われたことがあります。
その写真を見て現地に行ったら通常の展望台からは紅葉一本見えず、道なき道をかき分けて山に登ったら1本の紅葉したモミジが。
これなどウソではありませんが騙されたと感じる方も多いと思います。
ポスターですから場合によってはそこに無い物を付加しているかも知れません。
記録写真と言っても撮るのは人間、そこには必ず主観が働きます。
例えが悪いですが、綺麗に化粧したモデルを撮るのではなく、化粧していないモデルを撮ってパソコンで自分好みに化粧するのと同等の行為をしているケースもあるでしょう。
自分で個人的に楽しむ分には何をしても問題になることはないと思います。
しかし、その作品が大衆の目に晒される場合、例えアマチュアであっても作品が思わぬ誤解を生まぬよう使用目的によって自ずと修正にも限界があるでしょう。
考え方は時代とともに変遷するので限界点での見極めは中々難しそうです。
書込番号:8818093
0点

>マッドさんのは写真というよりはイラストの範疇に入るものなのかもしれませんが、
いかにも、レタッチ(合成)しました!的なのは良いのでしょうね。
真実っぽく作り込むのがダメなのでしょう。
だって、本当だと思って感動してるのに、ガッカリするでしょ。
書込番号:8818163
0点

> Otocinclusさん
isoworldさんの屋形船は凄いですね。
私もビックリして目を凝らして眺めてしまいました。
そこに屋形船があったら作品が完成する・・・しかし現実には存在しない・・・だから描きこんだ。
絵画の世界では普通にある事かも知れません。
芸術作品の場合は制作過程は兎も角として最後に完成した作品で評価されるべきと思いますが、写真の場合は中々認知されないようですね。
> @ぶるーとさん
マッド・アマノさんと言えば黒くて大きなタイヤを思い出します(笑)
モナリザもいろいろな方がパロディ化して描いていますね。
写真ではコンピュータを使えば、更に複雑な面白い事も出来ます。
パロディは兎も角として、写真の分野でも特にCGとの融合がより進み芸術に新たな一ジャンルを形成することになるでしょう。
書込番号:8818252
1点

実物のほうが分かりやすいと思いますので、別の観点での「合成写真」を紹介します。
1枚目の写真はマルタで撮った港の風景です。これを2枚目の写真のようにしたものは、みなさんはどう思いますか(やっぱり合成写真の範疇に入りますかね)。これはもとの写真を減色し、一部は私好みの色に塗り替えています。
また3枚目の写真を4枚目の写真にするのには、これをもっと強烈にやったもので、画素単位の「ゴミ」掃除も消しています。
書込番号:8818375
0点

> isoworldさん
4枚の写真を見せて頂きましたが、私の基準では合成写真ではないと思います。
合成写真とは本来そこに存在しない物体が描きこまれることを指すのであって、isoworldさんの例はPhotoshopのアーティスティックフィルターをかけた効果と同様と思うからです。
拡散フィルターを掛けたりカラーをモノクロに変えたりホワイトバランスを変更して色味を変えたりなどは許されるレタッチの範囲かと。
それを言い出すと焼きこみや覆い焼きも問題になってしまいますから。
ただ、それは私の基準であって世間一般の基準とは一致していないかも知れません。
また、それが写真作品として世に受け入れられるか否かも私には分かりません。
書込番号:8818454
0点

woods2003さん
>>記録媒体としての写真が芸術表現手段として使われだしたことが事を複雑にしているように思います。
というのは、もう150年くらい前から続く議論なんです。
機材の技術革新やインターネットの普及で、個人としての発表の在り方など、ここ数年のうちに目まぐるしく環境がかわってしまいました。あとはwoods2003さんのおっしゃるとおりだと思いますが、実際問題として、個人の価値観や行動に制約を設けたりすることは難しいとおもっています。
撮る人がいて見る人がいて、そこで写真が成り立つなら、見る人にも制約を強いることなり、、
お互いになんとなく気配や空気を読んでいくしかないかなと。
少なくとめアタシが生きている間には、写真界で大まかな流れもできそうにないかな、と思っています。
まあ、この時代に生きたのは、巡り合わせとしかいいようがないです。デジタルの興隆に立ち合い、十分楽しませてもらったから、よしとしています。f^_^;
話が長くなってしまうので、この辺で。ありがとうございました。
書込番号:8818467
1点

>>考え方は時代とともに変遷するので限界点での見極めは中々難しそうです。
あらら、よく読んだら結論は一緒みたいでした。
すみません。
書込番号:8818513
0点

ひさちん。さん
> もう150年くらい前から続く議論なんです。
150年ですか。
それが未だに結論が出て居ない・・・と言うか永遠に続く議論なのかも。
先日写真の100年史のようなタイトルの展覧会を見て、当初はロバート・キャパに代表されるようなジャーナリスティックな視点の作品が多いように感じました。
しかし、最近の写真は絵画との境界が曖昧になった作品も多かったです。
いろいろ貴重なご意見を有難うございました。
書込番号:8818565
0点

○woods2003さん 今晩は
>・と言うか永遠に続く議論なのかも
でも、議論することは大事なことだと思います。
色々な意見が読めて今回のスレはおもしろかったです。
○isoworldさん 今晩は
[8817490]の写真D、素晴らしい合成写真ですね。
屋形船が水面に映った柱の部分の処理が見事です。
8818375の写真は、合成写真でないと私は考えています。
書込番号:8818661
0点


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