デジタル一眼カメラ > CANON > EOS 5D ボディ
こんにちは。この間5Dの写真を現像していたら、妻に写真をさわりすぎじゃないかと指摘され、すこしショックをうけています。以前に写真は写実的であるべきか否かで悩んだことがあるからです。みなさんはどのように思われますか?
具体的には、RAW現像で、写真としてここまでは許容範囲だ、というラインはありますか?
もちろん個人的に楽しむのでしたら、何をしてもいいと思いますが、あくまで一般的な写真としての議論とお考えください。
書込番号:8112582
4点
人の感覚は千差万別ですので、基本的にご自分の感性で現像されるのが一番ですよ。
でも、写真を見てくれる奥さんの感性も取り入れて上げてください。
ガイドラインを設けてテクニックを駆使するより、奥さんに見てもらいながら調整するのも一つです。パソコンの見え方と印刷したものとの違いなども見てもらいましょう。
書込番号:8112611
2点
もう少し分かりやすく小学5年生だと思って質問してもらえないかしら?
何が言いたいのか分かりませんです。。
書込番号:8112616
7点
早速ありがとうございます。分かりにくくてすみません。RAW現像するソフトはかなり高度にいろんな処理ができますが、写真として何をしてもOKなのかお伺いしたかったのです。
書込番号:8112660
1点
ラインはありません。
弄ってるうちに冷静さを失って、自分の意図を越えて「やりすぎ感」が
出て気持ち悪くならないようにはしてますが、逆にわざと「ガンガン」な画像にすることもあります。
メーカーお仕着せのピクスタ「風景」や「ベルビア」は、「有り」で、自分で仕上げたら邪道とかいうのも
おかしな話で、結局は、意図通りにコントロールできてれば、オールオーケーだと思います。
世の中の写真が「大先生」にお褒めいただける写真ばっかりになってもツマンナイですし。
また、消す、足すは現像ではなく、レタッチと言ったほうがとおりはいいとは思いますが、
それも線引きすることは馬鹿馬鹿しい話だと思います。
書込番号:8112664
8点
以前どこかのプロがJPEGであとからいじるとレタッチだけど、RAWで調整は違うと思うといっていました。
RAWでもやりすぎると不自然になりますがその方が綺麗に見えたりします。
写真の知らないひとに「これレタッチしているの?」って聞かれるとなんか気分が悪いので、自分はできるだけ触るのは少なくとどめるようにしています。
明らかに不自然に見えないところまでがラインですかね。
ですが他人が触りすぎているからといってずるしているとは全く思いません。
趣味である限りは自己満ですからね。
アートの表現方法ですか。
書込番号:8112680
4点
難しい問題ですね。
結局、最終的には自分の感性を信じるしか無いのでは。
他人の評価はまた別かもしれませんが。
書込番号:8112686
3点
やりすぎでダメな写真、というのを見ることがあります。
デジタルになってたっぷりいじるのが流行しているのは事実です。(特に風景写真)
あり得ない青空、あり得ない紅葉、あり得ない緑。
昔はそういうのも新鮮でしたが、今でも新鮮と感じる人と、不自然不愉快と感じる人もいるでしょう。
奥さまには奥さまの価値基準、本人様には本人様の価値基準があって当然ですが、
奥さまの価値基準を一度くらい満たすことができるかどうか、トライしてみる価値はあると思います。
そこに自分の気付かなかった新しい表現や手法があるかもしれないと思います。
書込番号:8112705
5点
ひとそれぞれ好みがあったりしますから難しいところですね。
コッテリとんこつラーメンが好きな人がいれば、あっさりしょうゆラーメンが好きな人がいます。
コッテリとんこつラーメンが好きな人にはコッテリとんこつラーメンを作ってあげればいいし、あっさりなら…。
一番身近な奥様の好みに合わせるのが夫婦円満のこつ?(笑)
駄スレでした。m(__)m
書込番号:8112706
6点
写真は画であると同時に絵でもあるので個人の感性で線引きは引かないでいいと思うわよ。
家族とのコミュニケーションにもなるので、奥様と色々現像の仕方を話し合ってみたら如何かな?
写真の力は凄いわよ(笑)
書込番号:8112715
3点
5Dと直接関連しないレスで申し訳ありませんが、「(デジタル)写真ってどうあるべきでしょうか?」の質問に間接的(いまいち質問の要点が定まりませんので、銚子のはずれになっていたらごめんなさい)にお答えするのなら、私の持論である「銀塩(ポジ)で鍛えろ」だと思います。
いまさら銀塩?非常識なことを言うな、とお叱り受けるのは覚悟していますが、10本程度で構わないので、トライしてはいかがでしょう。特にハイキーっぽいモチーフや、ローキーっぽいモチーフの色合い、トーンなどを再現するのは、撮影段階での露出補正が肝です。5Dはもちろん中級以上のデジタル機でも出来ますが、デジタルは後工程でも何とかごまかせるので、露出補正にこだわる方は多くないのではないかなぁ?
もちろん、ダイナミックレンジが広くなりつつあるデジタルの世界ですので、露出補正の許容度は銀塩(ポジ)より広くなっていると思います。このように、デジタル写真は自由度が銀塩よりありそうですが、本質は銀塩と同じ撮り方をしたほうが後行程での苦労が軽減します。(この苦労が楽しいのだ、と錯覚している人が意外に多いのでは・・・?)
適正露出で撮り、レタッチでは色相、彩度、明度、コントラスト、露出などを”微調整”するのが大原則です。Webなどで時々お目にかかる例として、ギンギラギンの迷彩色っぽく仕上げていても、ご本人は気づかない(満足している)といった事例もあります。
また、カメラ特有の癖があるので、その分の補正も必要でしょうが、之は微調整の範囲と思います。
RAWでの適正露出に全神経(何を撮るかは別として)を集中するだけでいいのではないでしょうか?
それよりも、もっと必要なのは、感動を与えてくれたモチーフを如何に感動的・再現的に撮るか、後工程(レタッチ)の微調整段階での見栄え(芸術性を含めて)の味付け、といった気配りではないでしょうか?
後工程で触りすぎるのは、感動的に撮ったつもりのモチーフが期待に応えてくれず、レタッチで何とか再現しようとするためではないですか?
書込番号:8112775
12点
meu!uemさん・・・銀塩=非常識とは思いませんし、私も使ってるので、言いたい事は分かりますが・・・。
銀塩写真と、デジ写真はまったく別の工程をたどって、最終的な作品になるとそろそろ認識されたほうがいいかと思います。
また、キャリブレーションされていないディスプレイを使用して調整やレタッチされたデジタル写真は、他のモニターでは全然違う表現されてしまうこともあります。まず、その辺りを認識されたほうがいいのではと・・・。
さて、本題に戻って、WRブルーさんへ
私は、基本的には まず、調整不要・レタッチ不要の写真を撮れるようになる事が第一では無いかと思っています。素材が良くなければ、調整・レタッチでより良い表現が出来ないのではと。もちろん、そんな撮影が不可能だから、調整する・レタッチすると言うことも有りでいいのですが。
写真として、そのままで使用できる撮影が出来たら・・・あとは、自分の表現方法に合わせて、必要なだけの調整・レタッチを行えばいいと思います。
私は、あまりしない方ですけどね^^;
調整・レタッチを否定しません。逆に、デジ写真には絶対必要なものだとも思いません。自分では、OK!と思っていても、他人から見たらエッ!?ナニ??これ! って事も多々あるかと思います。奥さんの意見も聞いて、自分がこういう表現をしたいんだという話もして、より良い写真を完成させていってください^^
書込番号:8112824
1点
おいらは最初の現像でのレタッチというのは色再現に重きを置いて作業します。
当然ながら撮影時の設定はカメラ側の発色設定はニュートラルにしてます。
色再現を行って大体出来たと感じたらそれを現像します。
んでその後は如何様にも加工すれば良いんではないでしょうかね〜。
価値観はそれぞれなのですから、自分の中での「良い写真」を求めたら良いんではないでしょうか?
おいらはモノクロフィルム調やマット印画紙調、ネガフィルム調、ポジフィルム調、劣化写真調など試してますよ。
余りに色が濃すぎるのは好きではないのでコントラストを下げたりもしますし、減色もします。
調整で多いのは加色やコントラストを上げることが多いと思いますが、逆の方法もお試しあれ。
書込番号:8112836
2点
自分なりのこだわりを持つことが大切じゃないかと思います。
こだわりは他人に押し付けることではないとも思います。
しかし、他人のこだわりはとても参考になります。
書込番号:8112869
8点
こんばんは。
私はRAW撮影後の処理は極力レタッチしない様に心がけています。
フィルム時代では考えられないほどデジタル写真はレタッチが出来ますね!
ほどほどが良いかと思います。
書込番号:8112975
3点
titan2916さん
いい写真ですね。素直な処理のぶん、写真の内容の良さのほうに自然にひきこまれていきます。
書込番号:8113008
1点
基本的に個人の自由です。
自分なりのリファレンスセッティングを持たれると良いかと思います。
メーカーが用意したものか、自分で追い込むかの違いでもあります。
さわらないというのも、そのツールのデフォルト設定(カメラの設定の反映を含めて)を積極的に選んだと言うことでもあります。
書込番号:8113011
4点
作品ごと、または、撮影者ごとにいろいろな考えが有って良いんじゃないですか。
例えば、撮影時にライティング(人工的照明やレフ)で光のあたり具合や回り具合を作り込んで
モデルのしわを消したり、雰囲気を作ったりするのはOKで
デジタルでレタッチしてしわを消すのはNGとか、言い切れちゃうんでしょうか?
場合によっては、ライティング、現像、レタッチを総動員して作り上げる作品も全然有りだと思いますけど。
そういうのが、やりやすくなったところにデジタル写真の面白さが有ると考えています。
書込番号:8113044
7点
私はあまりというか全然レタッチをしない人だったのですけど、
最近少しレタッチをして遊ぶことがあります。
http://hanchan.exblog.jp/7317643/
http://hanchan.exblog.jp/7321795/
「気付かれない程度にタッチする」という失敗救済の範囲に留めたレタッチと、
コントラストを強くして「強く焼く」みたいな気分のレタッチを切り分けてやっています。(主にフィルムっぽい感じをねらってます。)
失敗救済では、コンパクトデジカメでオートで撮った写真を大胆に救済して遊んでいます。
やりすぎの写真はその「エフェクトの強さ」の感じが先に感覚に飛び込んできてじゃまになることがあるので、
そこは気をつけたほうが良いと思っています。
エフェクトの強さを誇示する作品性というのもありでしょうから、それはそれだと思っています。
書込番号:8113048
1点
こんばんは。
私は、ホワイトバランスの調整と露出補正しかしないです。
つーか、それ以上弄ると悪くなる方が多いので。
つまり、スキルが全く無いというのが実情です。σ(^◇^;)ゞ
書込番号:8113078
5点
F2→10Dさん
いじりたくない美しい写真ばかりですね。 私がいじりたくなるのは基本的に失敗写真です。
写真の中にある色彩や光の状態がすでに美しく完成されているものは、そのままにしておいたほうが
リアリティーとして訴えかけてくるものが多いかもしれません。
書込番号:8113135
2点
ホワイトバランスと、露出補正から、どんどん手が出る事は少ないですねえ。
レタッチという言葉は基本的に余り好きでは無いです。
でもいじる事により、いろいろ可能性を知る事もありますね。
レタッチは、プロのレタッチなら技術的に美しいなあと感じたりします。
http://kazenosanp.exblog.jp/
書込番号:8113146
1点
何をどう見せたいかが撮影した時点で明確になってないと、
PCであれこれ悩むんじゃないかな〜
写真はこうあるべきなんて視野の狭い考え方でしょ、=表現の幅も狭いって事だし。
悩むならmeu!uemさんの言ってる事も正論だと思う、
フィルムを一つの指標にするのもありだし
アナログのプロセスで写真をもう一度考えてみなって事でしょ〜
デジが主流になってから、あまり考えずに撮る事が多くなってるんじゃないかな〜
だからゴールも見えない、そんでもって色々出来るPCの前であれこれ悩む。
それとイマイチ分かんないのが、
デジになってから写真よりPCでの制作プロセスを重要視しちゃってる人だよね、
センサーがどうとかソフトがどうとかの話ばっかしてる。
フォトグラファーに限らずビジュアルに関するプロは必要があって
ワークフローも知識も一定のレベルにしなきゃならない、使用法も含めて求められてる
ものを表現する為の 引き出し にすぎないんだよね。
色々出来すぎて迷ってる感じするから、
カメラからダイレクトにプリントするって事に決めちゃって、
そこで出てきたシンプルな不満
(もっとコントラストが〜とかブルーがもっと濃かったら〜とか)が
PCでやるべき事なんじゃない?
書込番号:8113176
6点
フイルム白黒現像経験ありますから、デジカラーでも出来るようになり写真表現が広がったように思います。
しかし、奥さんが見て不自然と感じたんでしょうね!
彩度高め・シャープネス強めの不自然な切り貼り的写真を良く見かけますが、私としてはできるだけ自然に見せて表現するのが一番ではないでしょうか。
また、レンズの味?も殺してしまうでしょう。
私は合成で写真やペイントそして3Dなどの画像をポスターにしてますが、自然に見せるのに苦労してます。
まあ、個人的に楽しむのであれば誰が言おうとOKではないですか!
書込番号:8113397
2点
自分の撮った画像ですから、好きなだけいじっていいと思います。
度が過ぎると、周囲が認めてくれないだけです。わが道を行っても一向に構いません。
書込番号:8113420
10点
>「写真ってどうあるべきでしょうか?」
これは深いです。深すぎます。レンズ沼よりも深い底なし沼です(笑)。
『リアリズム論争、絶対非演出、土門拳』等のワードでネットを検索されてみると面白いと思います。
僕は結論からいえば「答えはない」と思います。もう、それぞれの主義です。
自分自身の写真主義とでもいいましょうか。固定観念や思い込みは捨てて写真と向き合って自分自身で自分自身の答えを見出したいものですね。
よく、『レタッチしすぎはよくない』とか、『レタッチがきついのは素人』みたいなことを言っている人がいますが、たいてい「どうして?」ってそこから先を聞くと、根拠が希薄な思い込みや固定観念であることが多いです。「だって自然なほうがいいでしょう」みたいな…笑。それは単なる好みというやつです。
写真はリアルな非現実ともいえますし、複写でもあり表現でもある。リアルを極限までつきつめればライティングなどももっての他ではないかとか…。もう、考えればどんどん底なし沼です。まあ、とにかく深いってことです(笑)。
書込番号:8113444
9点
>もちろん個人的に楽しむのでしたら、何をしてもいいと思いますが、
>あくまで一般的な写真としての議論とお考えください。
総論としてなら1行目が2行目の答えで問題ないと思います.
各論,各自論,各コンテスト規定なら回答者の数だけあると思います.
スレ主さんが「一般的な写真」を定義したらそれが答えでしょう.
極端な例かもしれませんが,1枚目の写真を意図して撮影しました.
2枚目を素材として撮影して,DPPで意図どおりに現像しました.
1枚目は写真(作品)ですが2枚目は素材です.
1枚目:WB,露出補正,コントラストパラメータを極端に.風景
2枚目:AEB,露出コントラスト補正なし.スタンダード
もちろん上手い人ならフィルタワークなどで
AEB,露出コントラスト補正なし.スタンダードの設定で意図する
作品を作れると思います.
もちろん私もよく周りからインチキだとかなんとか言われますが
こうしたいんだからこれでいいんだと思っています.
個人的に楽しむものなので,,,
標本とか記録写真の場合はまったく別の考え方しますが.
奥様が想う写真に関しては奥様にお尋ねになるのが一番はやいですよ.
書込番号:8113453
7点
私的には、写真をディスプレイで見るにしても、印刷してみるにしても、自分の記憶色と同じでありたいと思います。
露出を、評価測光でカメラ任せで撮っていたときは、レタッチしまくりでした。自分の記憶色の青空の色彩が出ないのです。
今は、スポット測光・マニュアル露出で自分なりの適正露出に決定することができて、レタッチは不要になりました。
RAWデータで撮っています。理由は将来ファームウェアのバージョンアップで対応できないものをDPPで対応できるかもしれないと思うからです。
DPPで現像して、Photoshopに送って、リサイズしてjpegに変換しHPへ、また、縁有りの印刷をしています。
書込番号:8113538
4点
カメラ好きのLokiさん
確かに作品が出来上がる工程が大きく異なります。
ご高承のように、フィルムではラッチチュードの狭いポジを適正露出で使い、現像時に多少の増感・減感をして、あとは焼く時に色見本で微量の注文を付けるのが世間一般の基本と思われます。
最近はこのフィルムをデジタルスキャンし、デジタル化してレーザープリントなどする場合があり、このときは格段に画像への手入れが可能になります。しかし、私の場合はめったに修正はしません。
私のモニターはポジフィルムの色調と、これをデジタイズしたあとのインクジェットプリンターのプリントアウト後の色調が出来るだけ合うようにセットしてます。この色見本をプロラボに持参し、色見本として渡しています。ただ、レーザープリントとインクジェットの印刷原理の違いから、色見本は参考程度になりますが、実態は問題にあることはありませんでした。
デジタルカメラの場合は、カラーチャートなどを適正光源と適正露出を与えてRAW画像に残し、それを現像後にPCモニターで見た画像と、更にそれをプリントアウトした画像の相対評価データを以って色見本を作っています。仰るとおりモニターが頼りですネ。
言い換えれば、写真を撮る時には出来る限り忠実に露光する必要があり、ここで誤差っちゃうと後工程はしんどくなりますネ。従って、撮影時の大原則である適正露出を守ることが、最も重要なのでしょう。
ただ、このキャリブレーションが曲者で、撮る時にほとんどが決まってしまう銀塩の方が苦労しない分気楽です。
書込番号:8113668
2点
これは禅問答ですか?(笑)難しい問題ですね。報道写真等は真実をありのままに知りたいと写真を見る人は思うでしょうから、あまりいじらない方が良いと思いますし。芸術作品としての写真は表現ですから、何でも有りだと思います。また、カタログ等の写真も目的がはっきりしているので、目的に合わせる為には何でも有りかな。やはり、写真を撮られる方の意図と写真を見るであろう人の要求に合わせて臨機応変がベストのような気がします。因みに私はあまり、撮影後にはいじりません、というか、いじってると訳が分からなくなって、かえって何もしない方が良かったりするので(爆)
書込番号:8113758
2点
いいんだよ。
自分が好きなように楽しめればね。
好きでやってるぶんには難しいから楽しいんだ。
一撃で決められればそれ以上の快感なしとワタシは捉えておる。
調整を強いられたとき、あるいは調整前提で撮ったときは負けた気がする。
次は決めてやろうとも思う。
それが仕事なら少しは保険かけますがね。
書込番号:8113761
3点
ボンジョルノ
ペタッと貼るアルバム用に補修する場合はなるべく撮った時に見えたように、まんまを記録したいので。霞んだ青空。枯れ気味の芝。
フォトブックにする場合は好き勝手に気分次第で。
かっちょいいこと言ってしまいましたが、たまに誘惑に負けて
子供と霞んだ青空→子供と真っ青な空にしちゃいます。
やっぱ子供は青空が似合う。
たまに嫁さんにこんなに晴れてた?みたいなこと言われますが、腕がいいからねなんて誤魔化したりしてます。
嫁さんは私よりもまんま残したいみたい?です。
まっこのお題は人それぞれでしょうから、家ではそんな感じでやってます
イタリアの良い写真見せていただきました、いいですね
感じでてますね
おととしいったフィレンツェを懐かしく思い出しました
嫁にもみせてやろっと
でわ
書込番号:8113872
1点
> 具体的には、RAW現像で、写真としてここまでは許容範囲だ、というラインはありますか?
そのようなラインはないと思います。
写真がデジタルになった瞬間に、CGとの区別はなくなりました。
好きなようにレタッチしていいと思います。
例えば、フォトコンテストはCGコンテストと区別ないものと個人的には思っています。
ただ、入選する・しないは選者の個人的な趣味趣向で決まるものですから、
伝統的な写真っぽいのが好きな選者であれば、CGっぽいのは落とすでしょう。
書込番号:8113926
5点
うーん、難しい問題ですね。
ちょっと前に某カメラ雑誌を読んでいた時、月例コンテストにて砂浜でのポートレートがあったのですが、「砂浜の余計な足跡をレタッチで消すと完成度が上がる」というプロの方の選評がありました。私はこの部分を読んだときに?が付きました。
私は見栄えが悪いから消すという行為は、なんか広告写真のような気がします。そんなことしたら何も知らず見る人はよく思ってくれてもても、自分はなんか味気なさを感じえません。
上記のことから、――もちろんこれは個人的な考えで万人に当てはまることではないのですが、やはりレタッチのやりすぎは写真をとる自分の主体性の欠如(ちょっと大げさですが^^)に繋がるのではないかなと思います。スレ主さんの奥さんが違和感を感じるならやはり不自然になっているということでしょう。銀塩時代には失敗してもその部分を消すことは困難でしたので、その分自分の技術の向上を図るという気持ちになったのですが、デジタルはすぐに失敗部分が簡単にレタッチ消せます。そうすると技術の向上心は銀塩時代ほどじゃなくなるのかもしれません。
かなり失礼な言い方になるかもしれませんが、レタッチから一時期はなれてみて一度ご自分のレタッチなしの写真をじっくりご覧になるとよいかもしれません。そうすることで何かの発見があるかもしれません。
長文失礼しました。
書込番号:8113941
1点
今の性能の良いカメラ(エントリー機〜ハイエンド機)なら、誰が撮っても、普通に綺麗に撮れるのが当たり前と思います。
ただ、人の心を捉える写真って、創作的なものから、ごく自然に撮ったものまであるんですね。撮る人も、観る人もそれぞれの感性だと思います。
わたしは、わざとピンを外したり、ブラしたりもしますが、、、、
趣味のこととして考えれば、どんな写真でも、まず自分が楽しめればそれで良いかと思います。
家内を撮る時は、当然、ピン外し。手振れON。ソフトフォーカス強。
これでなくちゃー♪
美人のモデルは、ジャスピン「瞳」
写真って素晴らしいー フォーッ ♪
書込番号:8113997
3点
レタッチがなじまないような撮影に5Dを使うので、5Dで撮った絵はほとんど触りません。
書込番号:8114226
1点
考え方は人それぞれですが
自分は、基本的には弄らないというスタンスで撮影してます
しかし、現実には救済策として、露出、コントラスト、シャープネスを調整することはあります
撮影時のイメージに近づけると言う程度ですね
書込番号:8114263
3点
童 友紀さん
>家内を撮る時は、当然、ピン外し。手振れON。ソフトフォーカス強。
> これでなくちゃー♪
どうしたらいいんだろう^^;といつも考えていたのですが、なるほど。納得です^^;;どうもありがとうございました!
#横レス失礼いたしましたです
書込番号:8114426
3点
カメラにも、因ると思います。
私はニコン機を使っていた時には、撮って出しでは本物の色すら表現できなかった為
ホワイトバランスやカラーバランス、トーンカーブなどなど、いじりまくってました。
今はS5Proを使用していますが、今度は逆に、何か触ると逆にバランスが崩れてしまう感じです。
なので、今は明るさ補正以外、ホワイトバランスすら触りません。
本物に必ずしも忠実かと言われると、そうではない部分もありますが
少なくとも、非常に自然に、美しく感じる発色なので、良しとしています。
デジカメは、メーカーや機種によっては、(特に色について)まだ発展途上の部分を感じます。
その撮って出しの色に満足がいかず、自分が眼で見た色(記憶色かもしれませんが)を
再現しようと言う方向であれば、いじってそこに近づけようとする努力は、私は全然アリだと思います。
そうでない場合、敢えて不自然なカラーバランスを作ってアートを目指すとか・・・
私はその方面には全く造詣がゼロなので良く分かりませんが。
書込番号:8114482
1点
たくみみさん
>駄スレでした。m(__)m
間違いだとは思いますが・・・
かなり失礼なコメントになってしまっていますので
せめて訂正された方が宜しいかと。
書込番号:8114494
1点
写真も音楽も同じだと思います。スタジオやライブで録音された曲では、原音そのままと
いう事はありえないでしょう。ライブ会場で聞いた音もミキシングされていて
楽器そのものの音量や音色は観衆に聞きやすいように加工されています。
いろんな目的があって色づけされているのが常識でしょう。写真もそんな感じです。
和室6畳間で生ギター一本で歌をマイク、アンプなしで聴いた曲が良い曲だと
聞いた人が思っていても、録音する段階で”様々な色がつきます。
この色づけや様々な色が多種多様し、音の好みは千差万別、十人十色ですし。
和室6畳という環境では、曲や歌が生かされないと思う人がいれば、加工するでしょうし
この感覚が最高だから、なるべく加工はしたくないと言う人、その中間の人など・・・
ですがプロではない趣味の段階では、好みを追求するのも、原音を追求するのも
難しく考えなくていいのではないでしょうか?
私みたいな素人でカメラファンではない人の中には、高いカメラならソフトで修正や加工しなくても綺麗な色に写せるのが高級カメラという感覚がある人も少なくは無いのではないでしょうか?
せっかく高いカメラが綺麗に写してくれているのに、いじくって加工ばかりしていたら
素の良さがなくなってしまう、加工をかけるなら安いカメラで十分でしょう、と言う人も
いるかもしれません。
元が良いから加工が生きると言う人もいるでしょう。
趣味の範囲では自分のやり方で楽しむべきですので、難しく考えても結論は出ないと思います。
書込番号:8114607
3点
WRブルーさん 今晩は
撮る人も、見る人もハッピーになれる写真であれば、どこまでレタッチしてもいいと思います。
自分が楽しむだけなら、自分が「いい写真になった」と思い込めるまで。
奥様に見せるための写真であれば、やりすぎない程度に。
私は自分の記憶色に近い出来上がりになるように、努力しています。
蛇足ですが、奥様の「写真をさわりすぎじゃないか」との言葉は、現像のために体力と時間をパソコンの前に費やしているWRブルーさんを心配してのやさしい言葉では、と勝手に思ってしまいました。
書込番号:8114890
2点
人それぞれでしょうね。
私はフィルム時代からやってますので、「撮影後は一切手を加えてはならない」派です。
昔はシャッターを押したあとに、小細工などできなかったもんです。
いや、一部プロは当然のように焼き調整その他をしたのでしょうが、
素人の自分は、そんなこと頼むこともできませんでした。
なので、デジタルになっていろいろ触れますし、実際必要があれば触りますが、
基本ラインはいまでも「撮影時に得られた像がすべて」です。
当然RAW撮影もしません。撮影時に確定されたものが、好きなようにいじれてしまうからです。
私のような意見は非常に少数派だと思いますし、「あなたはデジタル写真を楽しんでいない」と
批判される方もあるかと思います。
でも私は私。それだけです。
書込番号:8114900
1点
絵画の世界でも、写実主義から抽象表現主義、印象派やらアール・ヌーヴォーと
数えるときりがないほど表現の方法があるように、写真の表現方法も人それぞれ
だと思う。
けど、見る人に感動してもらうのは難しい。
書込番号:8114937
3点
私も写真が、「撮影者」や「道具(カメラ&PC)」というフィルターを通している以上、究極的には「画家」や「道具(絵の具&筆)」というフィルターを通した芸術表現である絵画と同一のものであるべきと考えます。
旧来、写真はその表現の幅が、絵画やもしくは言語(文章とか口述とか)に比べ、構図とか露出とかのみに限られていたため、写真は真実をありのままに写す、という概念が出来上がったものと思います。しかし、写真表現がデジタルと結合したことで、旧来の写真に関するこれらの物理的な制約が取り払われようとしているものと私は考えております。
つまり、デジタル写真をいじるかいじらないかは、デフォルメされた絵か写実的な絵か、フィクションかノンフィクションか程度の違いしかないのではないでしょうか。道具や人間の脳といったフィルターを通した時点で、「ありのままの真実」というのは存在しないと思います。つまり、いじろうがいじるまいが、程度の差でしかないのではないでしょうか。
以上、思い付くままに書き散らしてしまい、失礼いたしました。
書込番号:8114947
2点
じんべぇ00さんと同時にコメントをアップしてしまいましたが、じんべぇ00さんのコメントが私の申し上げたいことを芸術表現の本質的な部分に触れながら要約していると思います。
表現の幅が広がるだけで、そこから先は表現者と鑑賞者に委ねられているということです。
書込番号:8115029
1点
既に多くの方がおっしゃっているように、「写真ってどうあるべきか」というのを決めるのは自分自身だと思います。
WRブルーさんは、おそらく撮影における加工という行為を、どの割合で使っていくべきか?と問われているのでしょう。それは究極的には自分で決めるしかないということです。自分の考える「写真の上達」というものの定義が決まれば、その割合は自動的に決まると思います。あるいは、写真を撮る目的を決めれば、それはおのずと決まります。
例えば、上達というものの定義を、自分の描いた通りのイメージを撮影することとしたのならば、加工が多くなるのは撮影時点での自分の設定が甘かったことに他ならず、それは上達していないことになる。このような写真道を選んだ人にとっては、それが「写真とはこうあるべき」なのである。
一方、印刷された写真の「美」を追求するのが、上達の定義とするのであれば、印刷されるまでの工程というものは、さほど問題にはならない。つまり撮影も加工も、ときにはフォトショップなどで手を加えるのでさえも、印刷された写真がより美しくなるのであれば、その行為すべては上達のためのものになっていると言える。
美しい写真を収めたいのか、美しい写真を記録したいのか、美しい写真を作りたいのかによって、写真はどうあるべきかという定義は異なる。昔は「写真」といえば、銀塩カメラの撮影と現像のことであった。だから昔においての「写真の上達」という言葉の意味は、ほとんどが撮影のテクニックの上達であり、コンピュータやソフトなどの加工ではなかった。しかし、それは昔の一般的な定義である。現在において「写真」というものは銀塩カメラの専売特許ではなくなった。それでも、昔のように撮影テクニックの向上を「上達」と飽くまで定義するのか、それとも違う上達の定義を設定するかは、その人の感じている「写真」にたいするこだわり次第である。
結局は「写真道は何か?」と問うているのと同じである。狭く設定しようが、広く設定しようがかまわない。そしてその道は、かならずしも自分の中で永久に不変の「道」であるとも限らない。狭いのがソンで広いのがトクであるとは、私は決して思わない。それだけ簡単に極められるほど、写真の世界は浅くは無いからだ。撮影テクニックの上達という面だけでも、極めるのは難しく、その道は限りなく深い。
私の「写真道」は現在のところにおいては、撮影テクニックの向上である。思い通りのイメージをいかに撮影できるかという点を極めることである。加工を出来る限りしないことである。
書込番号:8115134
1点
写真ってどうあるべきだとか、他人様の写真のフィニッシングがどうとかなんてことは考えていません。
ただ、自分には自分の好みがあります。 それで良いんじゃないでしょうか。
私自身の好みとしては、デジタルっぽいクッキリハッキリは嫌い、彩度の高い嘘くさい色は嫌いってことくらいです。
数十年前、モノクロの自家現像から写真を始めたものとしては、少しボーっとしているくらいが写真らしいし、
ちょっと色がくすんでいるくらいが写真らしいというのが個人的趣向です。
でも、それが普遍的なものとは思っておりません。
私は RAW で SILKYPIX 現像を常としております。 前記の自分の好みの中でいろいろな調整をします。
Photoshop 等による現像後の加工は別物だと思っています。
書込番号:8115139
1点
皆様。 ん〜 ナイスですっ!!
横レス失礼します
☆ミケのパパ さん
>>家内を撮る時は、当然、ピン外し。手振れON。ソフトフォーカス強。
>> これでなくちゃー♪
あいや〜。 ちぃさい声でいいます。これは、うちの愚妻の場合ですよ〜
ここまでやったら、写真じゃなくなります。塗り絵です。
EOS 5D及び、キャノン機をお使いの皆様の奥様、または彼女様は、現場でみても
綺麗な方が多いです。
だから、わたしもキャノンの高級機を若い時から使っていたら.....と
もっと、ちゃんとした写真を撮れていたと想う この頃です よーっ
ともあれ、
☆小鳥遊歩さん 仰るように、深いです。
わたしは、心の内面の綺麗な女性、特に写真の上手な方がタイプですが、
某テレビ番組を見てますと、やはり外見も綺麗でなくては、可愛そうな気がしてきました。
書込番号:8115207
1点
meu!uemさんwrote:
銀塩で撮って見ろと言いつつ、
>適正露出で撮り、レタッチでは色相、彩度、明度、コントラスト、露出などを”微調整”するのが大原則です。
とは筋の通らない話。
適正露出で撮り、レタッチでは色相、彩度、明度、コントラスト、露出などを”微調整”しないのが大原則です、なら解る。
WRブルーさんの家庭事情はしりませんが、わたしはデジタル写真はCGの一カテゴリーにしか過ぎないとしか考えておらず、あまり、感傷的にならず、結果さえ出せれば良いわけで、好きなようにやれ!派ですね。
書込番号:8115221
8点
銀塩でもモノクロは暗室テクニックが写真が作品になるかどうかの大きなファクターになります。
覆い焼きや印画紙の号数による軟調〜硬調の違い。
10年前でしょうか、あるフォトコン雑誌で暗室テクニックとして、要らない部分は焼きこんだり、白く飛ばしたり、フィルムをずらしてそこを二重焼きして潰すのが良いと書いてあるのを読んでアングリとしました。
カラーでも風景写真はどぎついベルビアが人気です。
写真を記録としてみるか、作品としてみるかで、かなり変わってくるでしょうね。
書込番号:8115410
1点
写真は写真でありながら、写真でない・・・
常に流れている時間から、静止した部分を切り取ったものに過ぎない。
なんて講釈を聞いた事があります。まあ、要は「真実をそのままに写しているようで、
実は過ぎ去った過去のヒトコマの記憶」と解釈しております。
モノクロの暗室作業もそうなのですが、一本のフィルムからプリントする際に、ある
ラボは「情景を表現するのにコントラストを上げ明暗をハッキリさせ」、別の時代に
プリントしたラボは「階調豊かな表現を重視した」例があります。
これって解釈の違いで、どっちが撮影者の意図をくんでいるか論争になりました。
いずれにしても、撮影者がプリントしている以上、いじるか弄らないかはご本人次第。
でも、客観性って重要ですから、他の人の意見で試してみるとまた違った道が開ける
と思います。
たまに寄り道・井戸端会議しながら、オンマイウェイで良いと思いますよ?
書込番号:8115426
2点
写真って、「真実」を「写す」と書きますが、はたしてどーかな?と思います、
どなたかも仰ってましたが、写真とは「絵」みたいなものだと言えないでしょうか?
素の画像が自分が気に入らなければレタッチしても構わないじゃないですか?
ほんのちょっとトリミングするだけでも、元画像とは違う印象になったりしますよ、、
自分の記憶色に近い色合いに修正したり、ソフトフォーカスをかけたり いろんなことをして、
自分のイメージに近づけることは悪いことではないと思います、
自分自身は写真って、「アート」だと思ってます、
プロみたいに、クライアントに気をつかうこともなく、いろんなチャレンジが出来ることが・・・
アマチュアとしての最大の特権ではないでしょうか?
自分が望むアートに仕上げて楽しみ、まわりがそれを認めてくれなくても、自己満足・自己責任として
あまんじてそれも良し・・・と思います、、
書込番号:8115583
2点
HP拝見しました。奥様のご指摘ごもっともと思います。まずは、奥様とよく話し合われるのが吉です。ショックを受けられたそうですが、よい機会と思って今後に活かしましょう。
私見ですがRAW現像云々は所詮写真の一要素でしかありません。例えばJPEG撮って出しでも、素晴しい写真は幾らでも存在します。
辛口のコメントしかできず恐縮ですが、感じたままに述べさせていただきました。
書込番号:8115746
1点
写真とDigitalArtの境界はむずかしいですね。自分で決めるしか
ないと思います。
書込番号:8115793
1点
わたしが一目おくTAIL4さんらしからぬ、寝言。
>写真は写真でありながら、写真でない・・・
常に流れている時間から、静止した部分を切り取ったものに過ぎない。
まあ、意味不明の禅問答。
ただ、本質論(Essentialism・・・・後述するA)・構築論(Constructionism・・・後述するB)という座標軸の中で言えば、無名のカメラマンwen zhengのいう
I call there are only two kinds of photographers in this world.
one is who memorize what he/she see
one is who want to show what others cant see
(この世には二種類の写真家しかいない。一つは誰の目にも入るものをただ記録するだけの奴、もう一つは他者の目には入らないものを目に見える形で示そうとする奴だと。)
http://www.flickr.com/photos/msmelva/sets/
なかなか賢いことをいう。
ルーマニア人の一学生Alistair Cravenは「実在する事物を写実的に表現することよりも、自分のもつ、他者とは異なった世界観(ものの見方)を提供したり、感情を伝えたい」と。
http://flickr.com/people/florian_langa/
ここで紹介したご両人はこの道のオーソリティの発言ではないが、(A)写真というのはありのままの現実をいき写す(写実主義という)ようなもんじゃなくて、たとえば(B)花鳥風月の形を借りながら、カメラマンが鑑賞者に伝えたいと思っているイメージ(この中にはカメラマン自身の世界観・人間観も含まれる)を再構成(再構築)するための一表現形式だと割り切っている、点が面白いと思う。
写真というのはAではなく、Bだと・・・。これは正論だと思う。
WRブルーさんの奥さんは、文面から想像するに、いまだにA=写真の信念を持っておられる方でしょ、おそらく。
書込番号:8115862
5点
秀吉家康さん
説明不足でした。私が申し上げた後工程の処理は、↑でも書きましたように、キャリブレーションし切れない微妙なタッチや、カメラ固有の癖を微調整する方が、より良い作品(画像)になるのでは、と言いたかったのです。
納得していただけますか?
一方、こんな酔狂な写真(上の二枚)もやっています。
書込番号:8116042
1点
トピックスから来ました。
私はデジイチ歴数ヶ月ですが、銀塩の影響からか、購入したての頃は写真を補正することに抵抗を感じました。
しかし、一度やってみると、写真がだんだんと綺麗になっていって、これまた楽しい。見せる相手にもだいたいは喜ばれます。自分を満足させたり、見せる相手を喜ばすものならば、レタッチは必要だと思います。
今回のケースにおいては、奥様がレタッチを否定されているとのことでしたので、いっそのこと銀塩で写真を撮ってみて、自分の腕前をお見せになってはいかがでしょうか?
書込番号:8116482
1点
みなさん本当にたくさんのレスを有難うございます。たくさんのお返事を拝見させていただきますと、様々なご意見がある中に、写真は基本的に芸術的なものであるため、個人の感性による自由な表現が存在して然るべきものであるというご意見が強いと感じました。その中で私はみなさんの意見から力強い後押し、つまり自信得ることができたとともに、写真というものをあるひとつの観念で固定的に定義付けること自体がナンセンスであること、また写真に対する評価というものは、写真を見る側が主体的に行うものであり、それによって撮影者の表現のあり方が拘束されずあくまで自由であること(この自由には見る側の評価に合致するような写真を撮るか、自分の表現を貫徹するかの自由も包含していると考えます)いちいち納得させられました。
書も絵も本来の根源的な目的は意思を伝えたり、事実の記録であったと思いますが、その中から芸術として派生してきたものが書道であり、芸術絵画であったということを考えれば、写真もそれらとまったく違わないのですね。そもそも価値観というものは多様性を極めていますから、ある価値観でひとつの行為、写真撮影という行為を拘束するのは無意味なことだと改めて感じました。
たくさんのレスを下さった方に、感謝いたしたいと思います。なんだか胸のつまりが取れたような気がします。また楽しく撮影を行えそうです。
この話は妻にもしてみたいと思います。妻は特に写真を趣味としているわけではありません。私のRAW現像を見て疑問を感じたそうです。そういわれた私も少しショックでした。
いまは皆さんのお話を聞いて、「表現は自由である」という風に得心することができたことをもう一度お礼を申し上げたいと思います。
書込番号:8116518
1点
目的により表現方法は変わりますよね
コンテスト用、商用、趣味の芸術性の表現、芸術性を求めつつ販売用にしたいもの
別の目的のために写真を利用しているもの、自己満足、コレクション用
それにより使い分ければいいことで、こうあるべきなどは、ないでしょうね
書込番号:8116666
2点
元データを捨てなければ、なにしてもかまわないでしょう。
奥さんの思いでも大切に保管してください。
書込番号:8116996
1点
[8116518] WRブルーさん曰く:
> この話は妻にもしてみたいと思います。妻は特に写真を趣味としているわけではありません。
> 私のRAW現像を見て疑問を感じたそうです。そういわれた私も少しショックでした。
現像とレタッチに投入された時間と、それで得られた結果のバランスについて奥さんが婉曲に意見している可能性もあります (^^;
書込番号:8117346
3点
写真をやらない人は、目に見える光景が、そのまま写真になると
勘違いしてるからそのように思われてるのです。
ほぼ皆さん、WRブルーさんの奥さん同じ考えですね。
秀吉家康さんが仰られてる
本質論(Essentialism・・・・A)・構築論(Constructionism・・・・B)
写真というものは銀塩からもそうですが、「構築」して表現されるので「B] が正論なのです。
しかし、写真をやらない、ようするに鑑賞していただいてる方は分かってないだけです。
私の場合、面倒だが説明するようにしてます。
書込番号:8117462
2点
写真は表現の方法であると同時に記憶であり記録でもあります。
写真はシャッターを押したその時その瞬間の自分自身でもあるわけです。
スレ主さんがシャッターを切った、その瞬間の思いが表現出来るのなら、何をやっても良いでしょう。
一方で相反するようですが、今性急に答えを求めなくてもいいと思いますよ。何年か経って、改めて向かい合ってもいいのではないでしょうか。
書込番号:8117508
2点
どうあるべきか、などと考えていたら いつまでたっても自分から発信した写真にはならないはず。
自分発である限り何をやっても良いのではないでしょうか?
方法論うんぬんは重要ではない、はず 何を伝えたいかが一番大事な訳で。。
結果的に伝わるかどうか で悩んだほうが健康的ですよね?
すいません、どうしても言いたくて書き込んでしまいました。。
書込番号:8117600
4点
素のデータと、仕上がった写真。
見たいのはどっちか?
素のデータまで見たいとは思いません。
仕上がった写真をある人に見せたいと思うとき、素のデータを見せないようにします。
恥ずかしい。情けない。カッコ悪い。撮った動機が浅はか。など・・・
>Canonかも?さん
>私の場合、面倒だが説明するようにしてます。
ゲイジュツの過程というのは、ある意味その人の葛藤であり大変興味深いものがあります。
書込番号:8117610
2点
このスレを読んでいて…
そろそろ、『写真』という言葉を見直す時期なのかな…って、強く感じました。
今、シャッターを押してから現像した処までのものも、レタッチまでしたものも、全て写真という言葉で表そうとするから無理が在るのではと感じました。
現像した処まで=素材としての写真、レタッチを加えるなどして自分の表現方法にそった写真=作品としての写真。もちろん、素材としての写真=即作品としての写真であっても良いと思います。
この二つをそれぞれ上手く表わす単語が生まれれば良いのですが。そうすれば、「いや これは私の作品だからこれで良いんだ!!」と言い切れますし、レタッチしたらCGだとか変な言い方されなくなりますしね。
私は、レタッチはあまりしたくない方だけど、レタッチ バリバリの物も、作品として在りと思いますから。ただ、どちらも同じ写真と言うには、私の気持ちの中では抵抗があって…
長すぎる 駄スレ 失礼しました。
書込番号:8117727
3点
さわりんXさんwrote:
>写真は表現の方法であると同時に記憶であり記録でもあります。
マア、一般的にいえばどなたかも引き合いに出されている@「作品」なのかA「記録」なのかという問題ですよね。
@はすでに先述の説明で解決がついてますが、Aについても同様のことが言えます。
原爆を投下された広島の惨状や沖縄戦を記録した従軍カメラマン・研究者たちの「記録」としての写真やフィルムです。
これらは(X)撮影者個人の資質(たとえば、撮影技術から世界観・人生観など)によって変わってきますし、すこし、難しい言い方になりますが(Y)制度的・時代的制約ーたとえば撮影機材の種類(その時代の光学機器の技術水準に制約をうける)や撮影スタイル(その時代や社会における一般的に受容された撮影スタイルに無意識的に影響される)が関わってきます。さらには(Z)撮影目的(たとえば、戦果を本国の国民にセンセーショナルに伝える目的なのか、戦禍を人類愛に精神に基づき告発する目的で撮影されるのか、それとも・・・・)によって変わってくることは容易に想像できよう。
ということは、A(記録としての写真)そのものも、一定の観点という色眼鏡の中で覗かれた現実しか、その中に記録していないということになるのです。
わたしは先に本質論(Essentialism・・・・後述するA)・構築論(Constructionism・・・後述するB)という座標軸を提示しました。これにひきつけていえば、Aそのもの(=記録写真)も、@とは異なったレベルではあるが、社会的に構築されたものだと言えると思う。
ここで一番重要ことは、写真は現実を活写したもの、あるいは現実の似姿そのものなのだといった本質論に頭から引きずられず、写真の中に密かに仕組まれたトリック・仕掛けがないかをよく確かめた上で見るという姿勢が大切です。
たとえば、オイルタンカーの座礁によって原油まみれになった海鳥の写真、ミサイルよる無差別攻撃によって瀕死の重傷を負った子供写真などは本来記録写真ではありますが、フォトジャーナリズムはどうしても、それをセンセーショナルに読者に伝えようとするために、周知のように写真の中に嘘や誇張を仕掛けやすいのです。
書込番号:8118364
6点
私は写「真」なんてありえない、表現すべきは写「心」だと勝手に言っております。どれだけ極端にいじり倒しても、自分の心で表現したいものが結果として出来上がればOKなのでは?
書込番号:8118514
3点
奥さんは、写真は、現実(真実)を写すという信仰を持たれているのでしょう。
しかし、カメラが写す現実は、カメラの主観にすぎませんし、
人間の肉眼が見る現実も、個々人の主観にすぎません。
ただ、現実をできるだけ忠実に再現しようと努めたのかアートなのか
全くの創作なのかは、区別したほうが良いでしょう。
例えば、ボロ屋の前に食事を与えないで餓死しそうになった子供達を並べ、
アフリカの村の看板を置いて、寄付をつのる慈善団体がありました。
写真が、かならずしも真実でないことを忘れないようにしましょう。
書込番号:8118630
1点
私は何をしたって OK派なんですけど、このスレを読んで同じように考える人が多いのにビックリしました。
レタッチ総動員して別の画像を作り上げても良いと思うんだけど
耐性の限度もありますし思ったほど変えられないんですよね。
スレ主さんは奥さん用と自分用の2種類の画像を作られるのが良いと思います。
書込番号:8118718
1点
こんばんは。
生意気ながら、記録としてならいじるべきではないと思いますが、趣味というか、表現としてなら何をしてもいいと思っています。
なぜなら、思いを伝えるための手段と思っているからです。
大変失礼とは思いますが、自分の理想のイメージへブレーキをかけるのは見栄ではないでしょうか?
もしお気を悪くされましたら申し訳ございません。
書込番号:8119055
0点
高校生の頃大手カメラ屋さんでバイトしてたんですが、何百万円する現像機も、コントラストと色は調整出来ました。
マゼンタを足すとかそんなんで研修も受けたのですが、若気のいたり弄り過ぎてクレーム出てたみたいで、最終的に撮影者さんの意図を反映という事で要望が出ない限りまったくいじらず現像とゆうように店の方針自体が変わりました。
フィルムのメーカーによっても仕上がりが変わってたのは確かです。富士フィルムは無難、コニカさんは黄色っぽいなど特徴ありました。
デジカメの画像はいじりませんでした。撮影者さんの記録情報が入ってましたのでそのまま現像でしたね。個人的な主観だと、デジカメの現像はドットっぽいとゆーかカクカクしてました。CGと手書きの絵の差でした。
自然な温かみか目が痛くなるような感じか。
アナログかデジタルか
落ち着きか派手好きか
記録なのかアート表現なのか
感性や好みの問題と言われてましたが、その通りだと思います。
違うものだし構造も違うしそれぞれ味がある気がします。
書込番号:8119639
0点
まぁ過程はともかく何かをした結果どうなったか表現した結果どうなったかの方が興味があります。
書込番号:8119685
0点
最近この板見ていなかったのですが、面白いテーマをやっていたのですね。
完全に乗り遅れて残念です。
銀塩でも、デジタルでもよい作品にするためには、何でもありだと思っています。
でも一番大事なものは、何を撮るかです。
書込番号:8120645
2点
まあ、写真なんぞはウソをつくためにあるようなものですから。。。
ただし、あまりやりすぎて、あるはずのものがなくなったり、ないはずのものが出てきたりしてしまったら、もう写真というよりもファインアートやCGに近いんでしょうね。
ちなみに、私はメンドウなんであまり触りたくない派です。^_^;
書込番号:8121206
2点
WRブルーさん
おはようございます。
>RAW現像するソフトはかなり高度にいろんな処理ができますが、写真として何をしてもOKなのかお伺いしたかったのです。
処理と表現方法とは微妙な関係? いえ、深い関係が有ると思います。
銀塩だから、デジタルだからどうのと言う事では無いと思います。
撮影テクニック的には時間を自由に操れる写真は、人の肉眼とは比べ様の無い表現と記録が可能です。
そして、それを助けるのが現像等の処理なのです。
以前にも似た様なレスをした事が有るのですが。
銀塩時代でも現像処理した後での増感や減感処理は有り、粒子は荒れますが、どうしようも無い場合は、後処理に頼ったものです。
現像済みフィルム、或いはプリントした印画紙(双方共定着処理前)に露光反転処理をするソラリゼーションも亦、面白い表現を可能にしました。
そこ迄はしなくても、引き伸ばし焼付け時の覆い焼きや印画紙の号数に依るコントラスト調整、更には印画紙現像液の自作調合に依る軟調(或いは硬調)仕上げ等は普通に行われて来た事です。
複数のネガを一枚の印画紙に焼き付けるコンポジット等も後処理です。
カラーバランスにしてもゼラチンフィルター等に依る調整は行えました。
もっと簡単には感度はフィルムそのモノで変えましたし、絵の調子は銘柄で調整しました。
デジタルに始まった事では無く、フィルムの時からず〜っと有った事なのです。
尤も、昨今のデジタルでは、誰でも簡単に出来てしまいますが…。
只、それだけです。
一言で言えば、WRブルーさん自身がおっしゃられている、「表現は自由である」。
それに尽きると思います。
書込番号:8124516
1点
以前、何かのコンテストで「応募写真は無加工の写真に限ります。」みたいな事が明示してあるのを見た事が有りました。
では、レタッチした作品は応募出来ないですね?
自分で観賞する場合とかはあまり考えないで良いのでは?
人に見せる場合は綺麗にしたくなりますが・・・レタッチが面倒なので綺麗に撮れた写真を見せる様にしてます。
・・・いや、綺麗に撮れなくても見せてます。
書込番号:8141679
1点
わたしなんて、超お恥かしい写真をアップしてるんですよ!!身の程知らずです。
書込番号:8141712
0点
童 友紀さん、こんにちは!
>超お恥かしい写真をアップしてるんですよ!!
ん!んほっ!どこどこっ!どこっ!!
きゃー!超恥かしいっ!!(///(エ)///) カーッ
駄レスし〜ましぇ〜ん。<(_ _)>
書込番号:8141764
1点
熱く写真のことについて、語りあっているのにスミマセン。
横レス失意します。
>tourgui130 さん こんにちわ♪
>>ん!んほっ!どこどこっ!どこっ!!
>>きゃー!超恥かしいっ!!(///(エ)///) カーッ
見つけられなくて、良かったと想いますよ〜。。。。
わたしは、もう消して若くありませんので(汗)
書込番号:8141790
1点
ほんとに横レスすみません。
童 友紀さん、気を使って頂いてすみません。
・・・私も若いつもりは無いです・・・(普通逆か??)
このままでは何なので・・「写真ってどうあるべきでしょうか?」について・・・
楽しければ良いと思います。(いろいろな意味で・・この様なレスも楽しくて有りかも?)
写真をみんなで見て楽しめたら素敵ですね。加工!無加工!あまり関係ないですね。(^^)
書込番号:8141860
2点
わたしも本当に消えたいくらい、お恥かしいのでこの辺で・・・
☆WRブルー さん
いいスレッドですね。専門家さんから、一般の方まで幅広い意見が拝見できます。
なかなか、ないですよね。
横レス失礼します。
☆tourgui130 さん
レス[8141860]に、共感します♪
そうなんですね。一見、駄レスと思う出でしょう。 んがー
異議なしー って、 受け取ってくれる方もいると思うの。頑張りましょう!!
こちらこそ、ありがとうございました m0m
では。
書込番号:8141928
2点
真実を捉えているようでも如何わしかったり、如何わしく思えても真実を捉えていたりすると
いうことでしょう。しかし、真実は事実の中にあり、事実の先回りをしたり、事実の中に作った
りするのは、実は、真実ではなく理念ではないかと。
写真がどうあるべきかの真実は、こうあるべきかと(*_*)☆\(^^;ヲイ)
もとい、写真は、どうあるべきかではなく、どこでどう使う(表現する)かなのかも。
イヂルも良し、イヂってはイケナイもよし。
風刺画なんかは、真実よりも重みがあったりすることがありますよね。
真実を越えるとでも言いましょうか・・・(^^;)
書込番号:8141955
1点
思うのですが・・・ 人間というものは、自分の想いを表現する欲にかられる生き物だと思うんです・・・
これは 近世に始まったことではなく、文字も言葉もなかった原始時代からですよね?
世界中いたるところにある 洞窟遺跡にある”壁画”までさかのぼると思ってます、、
その後 時代とともに、印象派の絵画になったり、抽象派の絵画になったり、演劇や音楽になったりと・・・・・
ハナシが大きくなり過ぎて恐縮ですが、”写真”というものも その流れの中で考えてみるといいと思うんです♪
写真は絵画に近いと考えてます、 もの心ついた幼い頃、どなたでもクレパスや色鉛筆で無心に描いた記憶があると思います、
写真は その瞬間気になったものを手軽に写しとめることができます、
幼い頃のクレパスや色鉛筆が、カメラという道具に代わったと考えることは出来ないでしょうか?
そう考えてくると、その時の自分の想いを より素直に表現するために”レタッチ”することは間違いではないということに?
時には 元画からは大きくかけ離れた別画像になってしまうことも・・・・・
それも ”有り”なんじゃないかと思いますよぉ〜〜 (^3^)/
・・・自分は オリンパスユーザーですが、何故かキャノンの板に書き込んでいます・・・?σ(^_^;)?
書込番号:8142584
0点
まさに個人の価値観の領域なのでしょうね。
くだらないたとえと言われるのでしょうが、
何億円もする1枚の名画を買うか、それをCG、FAで実現するか。
(贋作も原作あるいはそれ以上か)
絵を描くのに消せないインクしか無かった(銀塩のポジ)ところに、消せるインクというか消しゴムというか書いてから色が変えられるインクが加わったとか。(デジカメ)
少々飛躍すると、実在し得ないマンガなどの大きな目の人間キャラクタも、気持ち悪いとされること無く、抵抗無く極普通のビジュアル系の人間として認識されるとか。
この様な違いや感覚、文化とも言える様な気がします。
市場の大多数が既出Bなら、私は未だAの少数派な様です。
言葉はともかく「後処理の類をサーボとするなら、ノンサーボの良質の原画を目指す」という「ドーピング無し」かの価値観は、デジカメの世界では大筋否定されるのでしょう。
しかし、コンテストなどで「どちらが上か?」という時に、やはり原画がそれなりのレベルに上がっている物に価値があるとする見方があるからこそ「応募写真は無加工の写真に限ります。」かの発想が出ることになるのだと思います。
昔なら、著名写真家の写真集を見たところで、普通は作風や色は自分で真似して撮影したフィルム(ネガ・ポジ)しか作成することが出来ませんでしたが、それがその写真集やオンラインから色のデータが見えれば、色編集についてはそのデータ分析して、好きに贋作のデジタルデータを作ることが可能ということになります。
構図さえ違えば、なんちゃってで著作権違反で無いかもしれませんが、色編集に関してはある意味「デジタル万引き」状態もアリということで、元をベースにしたか独自に作成したかは、非常に判別しづらいでしょうから。
これではコンテストの意義が薄れるという解釈です。
個人の趣味の範疇を超えると、潜在した問題である様な気がしますね。
書込番号:8142785
0点
「イヂル」「イジラナイ」についてです。
RAWからの一般的な現像においての限定になりますが…写真にするためには必ず加工工程を経ます。
そのパラメータが撮影時の設定の反映とカメラメーカーが用意したものを「イヂラナイ」とされているのだと思いますが、それを積極的に選択しただけで、ユーザーが個別に調整した場合(「イヂル」場合)でも「工程」の差はほとんど無いと思いますよ。
前者はメーカーが用意したものを積極的に選択しているだけです。
書込番号:8142832
3点
>写真ってどうあるべきでしょうか?
どうあるべきかと言う哲学的な事は、まだわかりませんが、
仕事で印刷版下作ってる時は、使える状態になるまで弄りまくります。
コンテスト用の写真は、規約の範囲でしか弄りません。
奥さんを含め、妙齢の女性を撮る時、作品をねらうなら開放で、デビットハミルトン風に、記録として撮るなら、ヘルムートニュートン風に撮ります。
以前、仕事で展示会のコンパニオンさんをニュートン風に撮って、むちゃくちゃ怒られた事があります。5DとEF24-105Lで絞って撮ると「ニキビだけでなくニキビの縁まで写っちゃう」感じです。
反対に美容整形外科の仕事の時は、手術前はひたすらリアルに、術後はソフトフォーカスが基本でした・・・
書込番号:8146484
1点
遅レスすみません、今更ですが私も交ぜてください。
毎月、何誌かのフォトコンに応募していますが、自分の中で消化し切れていないことがあります。
デジ一入選者の作品を拝見すると、必ずと言っていいほど絵がいじられています。弄った内容が詳しく書かれているものもあれば簡単なものもありますが、見ていて正直、イラッ、とするときがあります。
写真に写りこんだ異物をフォトショップで削除した作品が、その月の最優秀とした雑誌もありました。上手に消してあることも受賞のポイントだったようです。
私もスピードアートさんと同じ「ドーピングなし」を是と考えているため、jpeg1発撮り(デジタルなので連写・多撮含む)を基本としていますが、コンテスト入選のためには絵を弄ることも覚えなくてはだめなのかな、とも考えるようになりました。
ただ絵を弄るというのは、自分の中では「写真」ではなくなってしまうような気がして、その部分で葛藤が起きてしまい、今どういう方向で行こうか、迷っています。
銀塩のころには「撮る」という行為そのものが写真の楽しさだったのですが、今は出てきた絵を「弄る」ことが写真になってきたように思います。それならカメラなんてどこのメーカーだって一緒じゃん、て感じですけどね。
もちろんjpeg1発撮りで誰もが納得する写真が撮れればいいのでしょうが、これがなかなか…
自由に楽しく撮りたい、で(写真を弄らずに)コンテストも入選したい。
言葉にすると、なんとまぁ図々しいことかww
もっともっと写真を撮って勉強しないとだめなようです。
駄文失礼しました。
書込番号:8161306
0点
自然写真さん
コンテストなんて審査員の好み基準でしかないのですから、
イラッとくるのでしたら止めましょう!
自分の写真は自分で審査しましょう!
書込番号:8161537
0点
Canonかもさんwrote
>自分の写真は自分で審査しましょう!
人間というのは自惚れやちょっとしたこと(たとえばちょっといいカメラを持っている、コンクールに入選した程度のこと)で天狗になりやすい、その程度の動物です。
自分で審査すると自画自賛になりやすい。自画自賛したい人間はすればよいが、それはある種の堕落だと思う。
わたしはペンタ板で発言し、それをBLOGに転載した小文(http://yaplog.jp/poko_9/archive/98)の中でも言及しましたが、(審査とか)評価というのは自分のやることではなく、他人様がすることなんです。
書込番号:8161772
1点
>(審査とか)評価というのは自分のやることではなく、他人様がすることなんです。
その通りだと思います。(^◇^;)
書込番号:8162120
1点
補足です。
>その通りだと思います。(^◇^;)
あくまでも、評価です。
自分が楽しむ分には、趣味の世界ですから自己満足が一番大事ですね。
他人の評価は全く意味をなしません。
プロともなると、完璧に周りの評価以外なにものでもないと思います。
書込番号:8162157
1点
自然写真さん
(ご支持をいただきながら上げ足を取る様で恐縮ですが)
> デジタルなので連写・多撮含む
「最終的に仕上げるのが1枚なら1枚が勝負」という考えた方が、究極的には腕が上がると思います。
何故なら、連写を単に偶然にある補助的な便利機能と考えて「決め打ち」として撮影時から絞った方が後から選ぶという手間(無駄)もありませんし、連写があるからという先入観があると撮影時点での甘えが出ますので。
もちろん、効率的に連写を用いて勉強などに活用している場合はありますが、少なくとも撮影枚数が減るとか、撮影有効コマ数が増えるとかで、はじめて腕が上達したと言えると思います。
低解像度の別センサを用いたライブビューなどはもってのほか、地デジの映像の様に遅れたライブビュー画像で決めようとしても時既に遅し、タイミングでは光速の生ファインダーに敵う訳が無い。
私の個人的な価値観ではありますが、今回たまたま関係者に聞いてみたところ、後から弄る件にしても、どうもプロのカメラマンや写真家が弟子などを見て思うことでもある様です。
これらはクラシック音楽家が売れている電子音楽家を認めない様な価値観と言える様な気もしますが。
書込番号:8162369
0点
酔っぱらっててレスした事を覚えてない、、ゴメンね (^_^;
>自分の写真は自分で審査しましょう!
ちょっと語弊がありました。
「自己表現」としての作品づくりの場合、他人の評価(審査)は、
あくまでも参考程度と捉えるのが良いと思います。
他人を基準にされてる方、プロ(商用)もそうですが、その場合は別ですが。
レタッチされてる写真に不満を抱く方は、銀塩が幸せだと思います。
コンテストに出したければ、銀塩だけのコンテストが良いと思います。
他人を基準に考えた場合でも、作品づくりが困難な銀塩の方が普通に評価が高いですし、
芸術品としても、銀塩の方が希少価値がありますしね。
書込番号:8163355
0点
自分が撮る写真の方向性で決まるんじゃないでしょうか?
フォトコンに応募して入選を目指す作品を撮りたいのか、ただ 自分が撮りたい写真を残したいのか・・・・・
フォトコン入選を目指したいのなら、レタッチてんこ盛りの作品も有りではないかと、、
また、自分が撮りたい写真にしても、素でそのまま表現できてるのか?と考えると、なかなかそうもいかないようです、
色がうまく出ていなかったり、撮影の際には気付かなかったものが写り込んでいたり、水平が出ていなかったり・・・
同じ「写真」という言い方をしても、銀塩フィルム時代とは違うものとして考えたほうがよさそうに思いますねぇ・・・
あっ、いじるいじらないのお話しですが、ご承知のように デジカメには画像処理エンジンというものがあり、
撮影者の意図にかかわらず、メーカー毎 あるいは機種毎に微妙に味付けが違います、
つまり、メーカーが画像をいじってるということになりはしませんか?
ですから、どなたかも仰ってましたが、デジカメでいじるいじらないを論じること自体、無意味なことのように思いますが・・・
書込番号:8165394
0点
皆様どうもです、
最後の投稿から時間があったので返信はないものと思っていました。
>>Canonかも?さん
はい、何度も止めようと思いましたし、今現在も思っています。色々な本や雑誌を読んでいる中で、選者の好みに合わせて構図を考え写真を撮ったりすることもあった等の文章があるとやっぱりそういうものなのかな、と考えさせられたりもしました。
ただ自分自身、投稿を止めてしまうと向上心や前向きな気持ちがなくなりそうで、そうなった状況が許せそうもないのです。ここらへんは秀吉家康さんの言に一致しそうです。
>>F2→10Dさん
>自分が楽しむ分には、趣味の世界ですから自己満足が一番大事ですね。
他人の評価は全く意味をなしません。
プロともなると、完璧に周りの評価以外なにものでもないと思います。
いまさらプロになる気もありませんが、オタクやマニアから脱却したい気持ちがないわけではないんですよ。そうなると自己満足は持っているけど他人の評価も欲しい、となってしまうわけです。ここはかなり本音の部分です。皆さんはそんな気持ちを持たないのでしょうか。
>>スピードアートさん
謂わんとされること、大変よくわかります。
>「最終的に仕上げるのが1枚なら1枚が勝負」という考えた方が、究極的には腕が上がると思います。
メインがデジ一とはいえ銀塩あがりですから常に1枚勝負という意識は持っていますよ。ただスピードアートさんが音楽家の価値観の話をなさっているように、デジでの利点は利用してもいいのではないかとも考えています。
フィルムでも露出を変えて一シーン2〜3枚は撮っていましたから、それが10枚くらいになるって程度でしょうかww 高速連写はフィルムではできなかったことなので子供のサッカーや運動会で活躍しています。パワーワインダーってのを持っていました(モードラは高くて買えないです)が、36枚撮りがあっという間になくなってしまうので怖くて使えませんでした。それを考えると8Gで1000枚というのは信じられないくらい無駄遣いができますよね。まぁ、1000枚なんてなかなか撮れる数字じゃありませんが。
銀塩で…なんて拘りはまったくありませんが、デジ一を使った場合の写真やフォトコンに対しての気持ちの持ち方をかえる必要はあるみたいです。syuziicoさんの言が自分にさっと納まるにはもう少し時間がかかりそうですがww 大変勉強になりました。
長駄文、失礼しました。
書込番号:8165522
0点
syuziicoさん
考え方は千差万別ということでしょうね。私も改めて勉強になっています。
個人的には、
「色がうまく出ていなかったり、撮影の際には気付かなかったものが写り込んでいたり、水平が出ていなかったり」
この時点でそのコマは失敗で、そうならない様に撮影するという価値観ですね。
AT車全盛の時代にMTを愉しむみたいなものかもしれません。
確かに「メーカーが画像をいじってる」のかもしれませんが、そのバラツキの範囲内なのか、はたまたレタッチでなければ弄れないレベルの話なのかの違いはある様な気がします。
なお、キヤノンの高級機は敢えてニュートラル傾向らしい(メーカが言っているのを聞きました)ですから、特にFAでは気を付けないとかなり差が出たり、見方によってはがっかりするのかなと思います。
いずれにしても、結果オーライなのがデジカメの世界ということでしょう。
自然写真さん
お気に入りで入りました。
連写使えるはずなんですけどね。。。
1Ds2なんですが、じっくり構えて1枚撮るとすぐに降ろしちゃいますね。
複数撮る時は、フレーミング自体を見直すことが多いです。
旧F1の時も、モードラ欲しいと思いつつ、結局手で巻き上げていました。
私も銀塩ポジ(エクタクローム・コダクロームなど)が原点ですので、自然写真さんのお考えと私のは近い様な気がします。
まぁ、「キャノン」と書く方に「勉強不足の時代錯誤」と揶揄されるのでしょうが。。。
書込番号:8165711
1点
”撮る写真” と ”見る写真” では意味合いが全く違うのに
どうしても撮り方から入ってしまうところで悶々とされている方が多いと見受けました。
あくまで ”結果が伝わるかどうか” で判断されれば
おのずと過程が見えてくると思うのですが。。。
でしゃばりすぎなら、すんません
書込番号:8171508
1点
>写真ってどうあるべきでしょうか?
どんなに、写真が嫌いだって最後は、必ずそれに収まって、眠ることになるのです。
それまでは、写真と上手く付き合って逝きたいです。
書込番号:8172656
1点
>>自然写真さん
通りすがりですが、失礼します。
5年くらい前から私もフォトコンで腕試しをしています。かれこれ100回程度入選歴がありますが、ほぼデジタルです。フィルムスキャンもあれば、デジ一もしかりです。
画像は、RAWで撮って、自分が表現したかったようにフォトショップ等で丁寧に現像します。jpegは、連写スピードを稼ぎたい時にしか使っていません。
デジタルの恩恵は最大限利用したいと思っているので、写真のあるべき姿みたいなものは、フォトコンでは全く考えていません。そもそも、フォトコンと、写真が持つ記録性の意義とは必ず合致するものではありませんから、普段の写真活動とフォトコンは切り離して考えた方が成果は上がると思います。
入選するしないは、審査の時の審査員の気分が占める割合が相当数を占めているのが実態ですから、当落の結果に一喜一憂してたら体が持ちません。
ただ、ネイチャー系の写真で、レタッチを多用して、こんな自然に巡り会えましたなんてコメントをつけるくらいなら、辞めて欲しいと率直に思いますけどね。
書込番号:8216261
0点
ちょっと時間があったので寄っています。「〜あるべき」って、随分と観念が強い方ですね。それだけの場数踏んでいるんでしょうか? WRブルーさんの写真がどのようなものかわからないのですが、奥さんからのコメントについていえば、あなたがおっしゃるところの画像処理よりも処理する前の方がまだマシだという程度の話だと思いますが。
「評価」という話がいくつか出てますが、出品を考えるのでしたら主催団体の審査基準の傾向を考えて、選んで出せば済むことです。あなたが思ってらっしゃるプロでも出品先が違えば評価されるわけありませんから。
「写実」ってとても意味が深い概念ですよ。写真って基本的にカメラの前の対象を写し取ってはいるわけで、誰が撮っても表面的には写実なんですが、対象の美味しいところ(本質や裏側という感覚ですか)を引き出してないと写実じゃないです。画像処理した作品が「写実」じゃないかというと表面的には確かに写実じゃないように見えますが、美味しいところを伝えられれば「写実」ともいえるでしょう。というレベルから、まあ、これ以上は、キュビズムの空間認知の概念や、諸々現代アートの写真映像表現に関する概念の変移にも触れると幅が広がりますが、、、、そこまで求めますか?
正直なところ「一般的な写真」という感覚がわからないのです。一般的な写真を撮りたければ撮れば良いじゃないですか。でも一般的な写真が嫌なんでしょ? 良い作品を撮りたいと思って、なけなしのお金とわずかな時間でも、みんな何とか工面して自分の足を使って動いてますよ。
書込番号:8232985
0点
実は5D後継機に興味があり覗いていたのですが、
通りすがりで面白い話題だったので、
ちょっと書かせてください。
私は普通に写真は自由だと思っています。
写真は自分が表現したいものを表現する一つの手段ですから、
それを触り過ぎと他人に批判されても気にしませんね・・・とは言いつつ、
撮影時にベストを尽くして少ないショットで狙った写真率を高める方向でいます。
レタッチありきで撮影するのと、レタッチをしない方向で撮影をするのでは違うでしょう。
レタッチしないを基本として撮影しておくと、技術は要りますが後手間がかかりません。
私は現像&レタッチソフトは使わ(使え)なくても何となく欲しくなるのですが、
お金をかけてソフトを揃えてもなんだかんだ言って現像等に時間かけたくないので、
自分のイメージに合う撮影方法のパターン化や撮影技術の向上に力を入れたいです。
レタッチで何とかしてしまうと私的に撮影技術の向上意欲が湧かないので、
大概、一枚辺りの現像やレタッチの処理時間は長くても1分ぐらい?しかかけません。
尤も、通常は露出補正やトリミングぐらいで30秒位なのですが、
そのトリミングも「最初からきちんと構図を考えろ自分!」と極力したくない派ですw
で、最低限の処理で満足出来ないなら深く考えずにボツ・・・です。
仮に、
レタッチ率が高い=アート(作品作り)の手段としてカメラを選択した人、
レタッチ率が低い=撮影が好きなカメラマン
って感じなら私は後者ですかね・・・後者の表現が上手く出来ていないと思いますが。
とりあえずまとめるなら、その写真が、
アートなら撮影方法もレタッチも個人の表現として自由。
記録ならレタッチは極力しない。
仕事や他の人にあげる前提なら対象好みのレタッチで。
写真の良し悪しは別としてこんな感じでしょうか。
何でもかんでも他人を意識して撮影&レタッチしたら自分が無くなり、
何がしたくて撮影してるのか楽しいのかが解らなくなってストレスに感じると思います。
書込番号:8233493
1点
写真とは...。
被写体を何処まで忠実に再現出来るかじゃないですか?
弄り回した写真(画像)は芸術ではあっても好きにはなれません。
書込番号:8245993
1点
私にとって、写真とは・・・
でへぇ。お邪魔します、こんにちは
ランドスケープなどは、大自然をそのまま感じられるものがスキです。
人物は。。。でへぇ。やはり、ヌード、あっ。カップラーメンではなくてですね、がスキです。(生まれた時は、皆さん裸です)
男性であれば、立体的な肉体美。
女性であれば、包容力を感じる絵ですね〜♪
書込番号:8246117
1点
ウインクバーさん
もう一つお尋ねしたいのですが、
被写体を忠実に再現する為に弄り回すのは良い。
と理解してよろしいでしょうか?
ご承知と思いますが、写真は見た目どおりに写りません。
ダイナミックレンジ、ホワイトバランス、コントラスト、etc,,
それと、パースペクティブが正しくない広角レンズは論外ですね。
書込番号:8246616
0点
Canonかも?さん
私もそうですが、端的に言えばウインクバーさんは考え方が銀塩的なんだと思いますよ。
たとえば、原則的に弄り様の無い銀塩ポジ完で出来る限り忠実(←議論はあるでしょうが)を実現する腕を重視するということです。
そういった意味では、最初から白黒ならそれは一つの制約条件というか許容の意図条件ということです。
(カラーで無いという意味では忠実から外れますが、弄り倒すという意味では異なる)
パースペクティブも銀塩のフィルムの選択的で同様な条件かと思います。
とにかく、取り込んだ時点から弄り倒さねばならない様(弄り倒すことが前提で)なら、撮影時点で発想が違うということです。
いろいろ考えさせられましたが、個人的には根本に立ち戻って、「では何ゆえに「ダイナミックレンジ、ホワイトバランス、コントラスト、etc」を弄らなければならないかを極め、sakuranbouzさんの線で、撮影時点で「ダイナミックレンジ、ホワイトバランス、コントラスト、etc」を弄らなくても良い様なデータを生成出来るカメラがあったら理想的ではありますね。
業者が上げて来た親族の結婚式の写真を自分のと比べてみると、中には弄り過ぎや中途半端があるのが気になりましたね。
(シャッタースピード、F値、ISOからするとウソ?)
そうなるのは、そもそも撮影時点のディシジョンが適正から外れているためではないかと思いました。
そう考えて来ると、経験の浅い人でも業務カメラマンは出来てしまうとも言える訳で、たいそうな料金を取っている訳ですから、こんな時は「本当の撮影時のデータを提出せよ!」と言いたくなります。
皆さんはこんな写真でも「弄りまくること前提で依頼したい」とおっしゃるのでしょうかね?
私は嫌ですね。
書込番号:8246845
0点
こんにちは。
WRブルーさんはすでに結論に至ったようですね。第三者からの評価も参考にすると新たな表現ができるのかもしれませんが、プロとして納品するのでないなら、ご自身が気持ちよく楽しく表現できればよいのではないかと思います。
書込番号:8246878
0点
風景写真も撮りたくなって安くなった名機のコーナーを覗いてみたら大変な事になっていますね〜(笑)
同じ様なことで悩んだ時期もありましたので、少しだけ参加させてください。
以前、地元の農協の雑誌に投稿しようとしたら「自然を大切にするとの観点からデジカメでの投稿は出来ません」でした。
掲載された画像の中にはPLを使いベルビアで撮影した画像も多く、「素人がコンデジで撮って出す写真の方がよほど自然でしょう」と議論の末、現在ではデジカメもOKになりました(笑)
デジカメ=加工する=自然でない との発想だと思うのですが、デジカメが自然であるかどうかまで含めて議論百出のテーマであることは間違いないようですね。
スレ主WRブルーさんのHPも拝見させて頂きました。
自分が旅行したような気分になれて素敵でした。
ただ、奥様のお話も理解出来る気もします。
私は現在は鳥の写真が主ですが、コンデジで撮影しますので、レンズ中央部と周辺部の解像度の差や発色の具合からレタッチソフトは必需品となっています(対象物は必ずレンズ中央で撮り、構図を考えてトリミングが基本です)
CANON、CASIO、NIKON、SONYなどカメラによっても随分と差があり「撮ったままが一番自然」では無いと感じていますので、レタッチの上で自分が「見たまま・感じたままを表現」が今のスタイルです。
レタッチ段階でいろいろ遊んだりもしますが、デジタルゆえのプラスαのメリットだと考えています。
人の数だけ写真に対する考えがあり、人の数だけ表現法に対する考えがあっても良いと思います。
私は、自然や鳥は出来るだけ忠実に、女房をはじめ女性は出来るだけ綺麗に(当然「童 友紀さん」の撮り方と一緒です・笑)撮りたいと思います。
鳥さんの撮り方にも色々考えがあって「フラッシュは厳禁、餌付けはもっての外、育雛中は撮らない」人と「ヤラセOK、暗けりゃフラッシュも・・子育ては絶好の被写体」の人がいますから・・・・(私はもちろん前者です・(笑)後者はプロの写真家に多いです)
旅行写真などは「思い出の・・・」もあるでしょうから奥様の意見も大切にされると如何でしょうか?
長いレスになりすみませんでした!
レタッチが必需品の鳥さんの写真を貼っておきます(皆さんの5Dの素晴らしい写真と比較しないでね・笑)
書込番号:8246936
1点
スピードアートさん
仰る事は分かりましたが、
ウインクバーさんの「被写体を何処まで忠実に再現出来るかじゃないですか?」
の意味は「人間の目に見える光景を忠実に写真で再現する」
という意味だと思います。
yunsonaさん
このスレッドからそれますが、気になったので、、
野鳥撮影で「フラッシュは厳禁」とはどのような理由からですか?
書込番号:8248241
0点
Canonかも?さん、こんばんは〜
スレ主さん、主題から外れますが、ご容赦ください。
鳥さんの写真を撮る事が仕事の方は仕方ないとして、鳥さん撮り人には鳥の生態系に出来るだけ影響を与えないように気遣う気持ちが大事だと思います。
フラッシュは鳥に無用なストレスを与えます(自然界で鳥がフラッシュのような光を浴びることがないからです)し、子育て中の撮影はそれが育雛を放棄する結果が多々あることが報告されています。
フラッシュの問題は専門書にも「撮影場所が暗いことがあるのでストロボを持っていくように」などと書いてあるケースがあり、指導者によって、あるいは地域によって容認する度合いが違うようですが「鳥にとって・・」を考えれば「フラッシュは厳禁」とする考え方のほうが私には良いと思えます(写真に対する考え方と同じで、他人に強制はしませんが・・・)
書込番号:8249003
0点
Canonかも?さん
後の「弄り回した〜」から考えますと、まさか(極論して)「初期データが法外にメチャクチャ」→「弄って人間の目に見える光景かに再現」で「単に初期画像は中間画像」(Canonかも?さんの論?)といったお考えはあまり肯定されない様にも受け取れます。
厳密にはウインクバーさんご本人で無いと真意はわかりかねますが、要は個別に何をどう弄るかの程度によるのではないでしょうか。
たとえがいいかどうか、昨今はレタッチもさることながらCGも相当に進歩して、自動車雑誌を例に取ると最終画像の全体がいわゆる写真で無い架空のモデルの写真ライクな物まであって受けている、すなわちそれはそれで存在価値が認められている訳ですから、それと似て是非の議論は尽きないでしょう。
だんだん板ズレご容赦ですが、オークションで高値を付けたければ、写真を弄りまくって良く見せるという手がある反面、落胆させないというか後からもめないためには、わざと良く見せないという手がある様です。(笑
書込番号:8249432
0点
yunsonaさん
それぞれの撮影分野で、越えて良いかどうかの境界線がありますよね。
感慨深いですね。
スピードアートさん
一例を上げます (^_^;)
晴天、白い雲が青空に見える。
その下には渓谷がある。
渓谷の奥の方には川があり滝が見える。
人間の目にはこのように見える。
しかし、いざ写真を撮ると、狭いダイナミックレンジのせいで
空に露出を合わすと渓谷の奥は真っ黒(黒潰れ)
渓谷の奥に露出をあわすと空は真っ白(白トビ)
この非現実的な写真を正すのは、
撮影で露出をばらし、後処理で
トーンマッピングやレイヤーで弄りまくるしかないのです。
弄りまくっった結果、
ウインクバーさんの
「被写体を何処まで忠実に再現出来るかじゃないですか?」
はい、これで再現出来ました。
以上となります。
ウインクバーさん
この場合は認めてもらえますか?
もしよろしければ、、コメントください …>_<…
書込番号:8249971
0点
面白い。単純で深いネタですね
個人写真であれば好きな様にしたら良いと思います。
クライアントさんが居るならば、その要求に答えられる様にとか。
被写体に忠実とは、どの様な事かと考えると・・・
自然の風景でも人間の見た目、感覚、記憶と少しの思い入れを頼りに
色調補正するから個性が出るのでしょうね。
私は今は流行らない、あっさりした色彩が好きなので
他人の評価としては”つまらない”と思います^^;
こってりさせてしまうと、調整した当日は良くても
後で見ると不自然に見えたりする事ありませんか?
書込番号:8284150
1点
写真という訳を誰が充てたのかは存じませんが、photographを直訳すれば「光の絵」と言ったところですよねえ。絵の具や黒鉛で描くのではなく、光で描くのだと考えれば写実的である必要は全くないと思います。
もちろん、記録写真や証明写真は写実的であることが必須であることは、言うまでもありませんが、これは本題とは異なりますよね。
書込番号:8292103
1点
もう語りつくされてしまったことかもわかりませんが、
写真を「自分の作品」として考えれば、何をしても良いと思います。
書込番号:8312929
1点
写真の存在意義は被写体に忠実であるということでしょう。
基本的には撮った瞬間に完成されているはずです。人の目で
見えているように修正するのは、むしろ必須ですが
それ以外の加工は写真ではなく、ただの写実画ですね。
書込番号:8347127
0点
Q:「写真ってどうあるべきでしょうか?」
そこに写真機という不思議な機械があります。
ガラス乾板へ化学的に像を焼き付ける方法を先代が発明しましたとさ。
あなたがゲイジツ家を気取るのも、コンテストへ応募するのが目的でも、記録として撮るのも、あるいは写真機を飾っておくのも、人類の自由と思います。
書込番号:8347243
1点
各々の価値感を各々の方法で自由に表現できる。
そろそろ、「写真」という単語を死後にすべきでしょう。
書込番号:8347273
0点
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